2009年12月29日火曜日

権現堂堤 幸手市<この街に生きる

権現堂堤 幸手市<この街に生きる
2009年11月11日 読売新聞を抜粋編集

幸手市北部を流れ、一部が茨城県との境界をなす中川。この川にかかる行幸橋から下流の南岸沿いに、約1キロにわたり続いているのが、権現堂堤(ごんげんどうつつみ)だ。春には約1000本の桜が咲き誇る桜並木があることから「桜堤」とも称され、県内有数の観光スポットとして知られる。

保存会や市によると、堤は、1576年、度重なる権現堂川の氾濫(はんらん)を防ぐために北条氏が築いたのが始まりという。だが、江戸から明治にかけ、幾度となく決壊。このため大正から昭和初期に、権現堂川の上流部と下流部の2か所が水門で閉め切られた。

堤には、風光明媚(めいび)な憩いの場としてだけでなく、江戸時代に「権現堂河岸」という舟運の拠点を備えて活況を呈した歴史もある。河岸から江戸へ年貢米などが送られる一方、江戸の珍しい品々や日用品が運び込まれ、幸手宿の発展にもつながった。

2009年12月28日月曜日

埼玉県民意識:県民意識は薄く東京を隣で支える

【埼玉県】 県民意識は薄く首都東京を隣で支える
12月21日 Diamond Onlineを抜粋編集

「埼玉都民」という、言い得て妙な言葉がある。実際の話、埼玉県内に住んで就職・就学している391万人のうち28.8%、約3分の1は県外(ほとんどは東京)に通っているのだ。

 だが、埼玉には豊かな自然がまだふんだんにあるのもまた事実だ。秩父多摩甲斐国立公園をはじめ、県内には大規模な自然公園がほかに10ヵ所もある。そうしたところにやってきてリフレッシュしているのは東京都民のはずだ。また、県の北部はほとんど農業地帯で、首都圏に最も多くの農産物を供給している。
気質は保守的でおとなしい

 ただ、かつてはほとんど全域が農地で、大半が農作業に従事していたことから、気質は保守的でおとなしい。江戸時代、社会的な地位の高い武士の生活を支えていたのは実質的には農民だったが、その暮らし向きはけっして恵まれていなかった。それと似たような構図が、埼玉─東京の間にあるような気がしてならない。

 そんな埼玉県民が、「埼玉がなければ、東京などひと晩で吹っ飛んじゃいますよね」という言葉を聞けば溜飲が下がるだろうし、疲れも吹き飛び仕事への活力もわいてくるのは間違いなさそうである。

埼玉県:観光サイトでアニメのカルトクイズ 

埼玉県:観光サイトでアニメのカルトクイズ 
2009年12月25日 毎日新聞を抜粋編集

 埼玉県は24日、「らき☆すた」など同県に関連するアニメやマンガ、特撮番組をテーマにしたクイズを楽しめる「アニメで埼玉観光クイズラリー」を、同県の公式観光サイト「ちょこたび埼玉」で始めた。全問正解すると抽選でアニメにちなんだ商品が当たる。1月31日まで。

 アニメ「らき☆すた」による町おこしで話題を集めた鷲宮町や、春日部市を舞台にしたマンガ「クレヨンしんちゃん」など、アニメやマンガに関連した地域が多いため企画された。サイトでは、「鷲宮神社入り口の大酉茶屋のレギュラーメニューにないのは?」「幸手市の美水かがみさんのギャラリーで、玄関のすぐ右手にあるのは誰の部屋?」など、アニメやマンガにちなんだマニアックなクイズが出題され、正解するとアクセス方法や周辺地域の観光情報も表示される。

2009年12月27日日曜日

幸手宿 幸手市<この街に生きる

幸手宿 幸手市<この街に生きる
2009年11月4日 読売新聞を抜粋編集

東武日光線幸手駅から南東に約350メートル行ったところに、志手橋(しでばし)という橋がある。ここから旧日光街道を北上し、聖福寺(しょうふくじ)付近に至る区間が、かつて幸手宿と呼ばれた宿場町だ。志手橋から南西約750メートルには、日光御成街道との合流点もあり、江戸時代には県内有数の宿場町としてにぎわったという。

幸手宿の南玄関・志手橋を渡ると、右手にひっそりとたたずむ旧家がある。宿場町の面影を今に伝える貴重な建物として、今年9月、国の文化審議会が有形文化財に登録するよう文部科学相に答申した「岸本家住宅主屋(しゅおく)」だ。かつてしょうゆ醸造業を営み、主屋の裏手には醸造所や作業場、蔵など約10棟が立ち並んだ。

歴史を生かした街づくりに思いを寄せるのは、旅館「あさよろず」の6代目主人、新井和博さん(59)も同じだ。館内には、伊藤博文や板垣退助の宿泊を記した当時の宿札や、「朝萬(あさよろず)」と書かれた創業間もない頃の看板を掲げ、宿場町の雰囲気を醸し出す。

徐々に新たなファンを集めつつあるのが、幸手宿北端に位置する聖福寺だ。近年、歴史を学ぶ観光客らがたびたび訪れるようになった。

同寺は江戸時代、歴代の将軍が日光社参をするたび、行き帰りで将軍の休憩所に使われた。今でも将軍専用の山門や位牌(いはい)などが残る。

2009年12月26日土曜日

街の恋人 輝き再び 上尾市 <この街に生きる

街の恋人 輝き再び 上尾市 <この街に生きる
2008年12月20日 読売新聞を抜粋編集

明治政府発足から10年あまり、生糸を横浜港に運ぶため、上野駅からJR高崎線が群馬県高崎まで開通したのは1884年6月。その前年、熊谷までの仮営業の際に開設した六つの駅の一つが上尾駅だ。1969年、東口のみだった駅舎にようやく西口が出来た。アポロ11号が月面着陸し、東名高速道路が全線開通、実質12%の経済成長率に国民が沸いた年のこと。上尾市谷津や柏座地区に団地などが造成され、前年より人口が1万3489人も増えた。駅は都内へ通う人たちでにぎわいを見せる。

この年に当時としては珍しい、ショッピングセンター(SC)「上尾モンシェリー」が西口に開業した。複数の小売店舗が集まった斬新なスタイル。アイデアを出したのは、脱サラした起業家や駅東口の商店主ら20人たちだった。

さらなる活性化に向け、メンバーたちの話し合いも熱を帯びた。気持ち良く買い物をしてもらおうと、可動式のアーケードを設けた。アメリカ西海岸へ足を運び、上尾で生かせるような先進地の取り組みがないかを探った。馬車を運行したり、女性のダンサーを招いたハワイアンショーを手がけたり。ちびっ子のど自慢やミニSLの運行も企画した。アイドル歌手のステージショーを催した。出すアイデアがことごとくヒットした。

しかし、良いことばかりは続かない。1980年代を境に、街は「混迷期」を迎える。本格的な車社会の到来。消費者は一度に多様な買い物を楽しもうと利便性を追求するようになった。郊外に大型店が続々と現れ、逆風にさらされた2社が倒産し、街を去った。その後、売れ行きが伸びず、近くにオープンした大型商業施設内へ移転する仲間も現れた。

モンシェリーが産声を上げて今年で40周年。若い経営者たちが街の未来を切り開こうとしている。

2009年12月25日金曜日

県内撮影4年前の倍 フィルムコミッション活況

県内撮影4年前の倍 フィルムコミッション活況
 2009年12月24日(木)

  映画やドラマなどの撮影を支援するフィルムコミッション(FC)を行う公的団体が県内で増加している。2005年度末までは県や本庄市など4団体だったが、3年半で全国最多の18団体(09年8月現在)に急増。撮影件数も05年度の2倍を超える勢いで伸びており、県民になじみの県内各地の風景がテレビやスクリーンに映し出される機会が増えた。

 FC設立は主に三つの地域効果が期待できる。一つはまちのPRによる集客効果だ。今年4~9月に放映されたNHKドラマ「つばさ」の舞台となった小江戸・川越は、蔵造りの街並みや菓子屋横町といった地域のシンボルの露出度が高まり、観光客が増加。

 もう一つは撮影隊の受け入れなどに伴う経済効果。撮影隊はロケ中の飲み物や弁当は地元で注文する。ロケセット建築費を含めた経済波及効果は大きい。

 三つ目はまちおこし効果だ。普段見過ごしがちな身の回りの風景が映像で取り上げられることで、地域住民が地元を再認識するきっかけになる。またエキストラや撮影支援に住民がボランティアで参加することはまちの活性化にもつながる。

 映像制作会社の関係者に聞くと、景気低迷による制作費圧縮の流れの中で埼玉はロケ地として魅力的という。「都内から日帰り可能で出演者と調整が付けやすい。日常の風景を撮るのに適した場所がたくさんあるし、都市から農村、山間の風景まで多彩なシーンが1日で撮れる」と指摘する。 

リピーター確保が課題 朝ドラ「つばさ」効果 川越市

リピーター確保が課題 朝ドラ「つばさ」効果
 2009年12月24日(木)

 蔵造りの街並みが残る川越市を舞台にしたNHK朝の連続テレビ小説(朝ドラ)「つばさ」が今年3月から9月まで放映された。そのかいあってか、放映期間中の観光客は急増。メーン通り「一番街」の商店主らは「例年の3、4割増の売り上げ」とホクホク顔だ。ただ、関係者らは「これはあくまでもつばさ効果。今後の課題はリピーターをどう確 保していくか」と模索を続けている。

 「お客が全国から来るようになったね。昨年までは関東が中心だったが、今年は北海道 や九州の人が見えた。例年なら、客数が落ちる夏場も減らなかった。さすがは全国区だね」―。ドラマで老舗和菓子屋のロケ現場となった一番街の陶器店「陶舗やまわ」の原知之社長(53)は、つばさ効果をこう振り返る。

 朝ドラの放映が決まった昨年、川越市は市商工会議所をはじめ商店街連合会など地元関係団体で組織する「つばさ推進協議会」を設立。職員の名刺に「つばさ」のロゴマークを入れたり、街路灯に統一フラッグを掲げるなど、ドラマのバックアップ態勢を整備した。

 放映開始後も、老舗の酒蔵「鏡山酒造」跡地を利用して、ドラマで使用した和菓子屋のスタジオセットなどを再現したり、出演者が使用した道具やサイン色紙などを展示した「つばさ展」を開催。さらに、10月には同跡地の敷地に東京芸大大学院生が制作したモニュメント「つばさ記念碑」を設置した。

 視聴率は関東で平均13・8%と朝ドラ史上最低だったものの、地元のPR作戦が奏効したためか、観光客は放映開始直後をきっかけにぐんぐん伸びた。蔵造りの街並みの一番街に面する「川越まつり会館」と「蔵造り資料館」の放映期間中の入場者数は昨年同期比36%増。市は「実数は分からないが、間違いなく観光客は増えている」と胸を張った。

 ただ、関係者は「観光客は来年以降、減るだろう」と口をそろえる。

 リピーターの確保策について、同市観光課は「ドラマのロケ地誘致や長瀞などの県内観光ルートの商品化などを視野に入れながら、観光資源を洗い出し、サービスや情報提供の質を上げるなど、観光地としての付加価値を高めていきたい」と新たな試みに動きだしている。

2009年12月24日木曜日

遍照院 上尾市 <この街に生きる

遍照院 上尾市 <この街に生きる
2008年12月13日 読売新聞を抜粋編集

「上(かみ)寺」と呼ばれる遍照院(上町)で近隣の人など約1000人が集まって伽藍(がらん)の落慶法要が執り行われたのは10月13日。

2005年の着工から丸3年。ほぼ100年ぶりの大工事で、老朽化した建物はきれいに整備された。

風景が変わったのは1962年ごろ。JR高崎線を越える踏切と直線で結ぶ市道が整備され、参道に沿って住宅が立ち並んだ。参道は細い路地を残すのみ。その後、中山道から遍照院は見えなくなった。

2000年、老朽化による雨漏りが激しくなった本堂の調査が実施される。その結果、「大きな地震が起きたら倒壊の恐れがある」。翌年、護持世話人会が遍照 院建立記念事業委員会を組織し、本堂や客殿などの新築整備に乗り出した。これを機に、本堂と山門の位置をずらし、市道と山門、本堂を直線に結ぼうとの声が あがる。かつての景色を取り戻そうというわけだ。

2009年12月23日水曜日

氷川鍬神社 上尾市 <この街に生きる

氷川鍬神社 上尾市 <この街に生きる
2008年12月9日 読売新聞を抜粋編集

石の灯籠(とうろう)を横目に鳥居をくぐり、参道を進む。数十メートルも歩くと、立派な本殿が目に入る。370年以上、上尾の街を見守ってきた氷川鍬(くわ)神社。

1631年(寛永8年)12月25日。「鍬」の字を染め抜いた着物姿の童子(わらべ)3人が上尾宿に現れた。踊りを踊って、突然姿を消す。残されたのは金の幣束(へいそく)と2本の鍬、そして稲穂。「神の使い」だとうわさされ、神社が出来た。

1788年、江戸で学僧として名高い雲室上人を招き、公立学校と寺子屋の機能を併せ持つ教育機関「聚正義塾(しゅうせいぎじゅく)」が開かれた。ここで多くの青年が孝経や近思録などを学んだ。

長い時を経て、学びへの意欲が復活する。2002年、上尾商工会議所は人材育成を目的に「上尾未来大学 聚正義塾」を始めた。受講生は、作家や企業経営者 の講義を聞いた後、意見を交わす。08年度までに修了生は延べ200人を超えた。商工会議所総務渉外委員長の星野理一さん(51)は「自発的に行動する リーダーとなり、地域活性化の担い手に」と願う。

2009年12月22日火曜日

上尾宿 上尾市 <この街に生きる

上尾宿 上尾市 <この街に生きる
2008年12月6日 読売新聞を抜粋編集

JR上尾駅の東口のバスターミナルを抜け、ほぼ南北に走る県道、かつての中山道を右に曲がる。右手の大きなビルの影に小さな木立が見える。ひょいとのぞく と奥に鎮座するのは氷川鍬(くわ)神社。中山道六十九次の五つ目の宿場、上尾宿の鎮守として「お鍬様」と呼ばれている。

上尾宿、今の上尾市仲町あたりは、江戸・日本橋から約10里。1泊目の宿を探す人のために41軒の旅籠(はたご)が並び、旅をする人たちでにぎわっていた。大名や旗本が泊まる大きな本陣と、それに準ずる3軒の脇本陣もあった。

中山道を挟んだ向かいに、宿場町の当時の面影を目にすることが出来る。

中国や日本に伝わる鍾馗は邪気を払う魔除けとして屋根の上に載せられた。江戸期以降、幾度かの大火を経験した上尾宿でもあちこちの屋根で見ることが出来たという。
上尾宿

2009年12月21日月曜日

うどんの街 所沢市<この街に生きる

うどんの街 所沢市<この街に生きる
2009年10月27日 読売新聞を抜粋編集

「手打うどん」――所沢市内の住宅街を歩いていると、あちこちで、こんなのれんや看板に出くわす。市観光協会作製のマップに掲載されているだけで、29店舗が市内各地に店を構える。

所沢はかつて、水利に恵まれず、小麦やイモが多く作られてきた。この小麦を使った手打ちうどんが家庭でよく食べられ、今も盆や正月、結婚披露宴といった特別な日に振る舞う地域がある。

やや茶色がかったコシの強いめんを、季節の野菜をさっとゆでた「かて」と一緒に、つけ汁につけて食べるのが所沢流だ。

市内の手打ちうどん店とは一線を画し、県内を中心に関東一円で「山田うどん」チェーンを展開する山田食品産業も、発展の礎を、今も本社を置く所沢で築いた。

会長の山田裕通さん(74)は、「所沢でうどんに適した小麦の生産が盛んだったので、昭和34年(1959年)、現在の本社所在地(同市上安松)に本格的 な製粉工場を建てた」と語る。創業後は、製めん所、店舗も設け、一貫した生産・販売体制を整えていった。「今思えば若気の至り。大きな工場を建ててしま い、その償却を図ることに夢中だった」と振り返る。

2009年12月20日日曜日

三富新田 所沢市<この街に生きる

三富新田 所沢市<この街に生きる
2009年10月20日 読売新聞を抜粋編集

所沢市の米軍所沢通信基地から住宅地を抜け、北東方向に車を走らせると、細長い短冊状の畑が無数に並んだ景観が目に飛び込んでくる。それぞれの “短冊”の端には、木造家屋がどっしりと構える屋敷地、反対側の端にはこんもりとした平地林がある。この広大な一帯が、江戸時代に開発された新田集落の姿 を今に残す「三富新田(さんとめしんでん)」だ。

三富新田は、上富、中富、下富の3地区の総称。三富を「さんとみ」と読む人もいる。元禄7年(1694年)に川越藩主となった柳沢吉保の命で、約1000ヘクタールの原野をもとに開拓された。現在、上富は隣接する三芳町、残り2地区は所沢市に属する。

中富、下富地区では、収穫量県内一を誇る所沢特産のさといもの収穫・出荷が本格化する。

地元農家46人からなる同会は、収穫したさといもなどを持ち寄って審査する会合を毎年秋に実施。県川越農林振興センターの協力を得ながら、上位入賞者の畑を翌年、研究して参考にしたりして、栽培技術の向上を図ってきた。

近年、都市近郊の緑として平地林が注目を集めているが、「林が残ったのも、農業が続いてきたからこそだ」と栗原さん。「農業を続けるためには、必要な変化もある」とし、望ましい営農環境作りの模索を続けている。

三富新田ウィキペディア

2009年12月19日土曜日

狭山湖 所沢市<この街に生きる

狭山湖 所沢市<この街に生きる
2009年10月6日 読売新聞を抜粋編集

都心から約40キロ。東京、埼玉の両都県にまたがり、「緑の島」とも呼ばれる狭山丘陵の所沢市側に広がるのが、狭山湖(山口貯水池)だ。隣の多摩湖(村山貯水池)と同様、戦前に造られた人造湖で、都民の水がめとしての役割を担っている。

狭山湖が完成したのは1934年(昭和9年)。工事では、所沢市街地へ流れる柳瀬川の上流部をせき止めることになり、282戸、1700人余りが現在の同市山口地区などに移住した。

狭山湖【地図】
狭山湖(=山口貯水池)ウィキペディア

2009年12月18日金曜日

銀座通り 所沢市<この街に生きる

銀座通り 所沢市<この街に生きる
2009年9月29日 読売新聞を抜粋編集

 所沢駅西口を出て、北へ。「プロぺ通り」「ファルマン通り」と、日本の航空発祥の地にちなんだ名の商店街を抜け、坂道を下ると、道沿いに高層マンションが次々と現れる。かつての所沢の中心街「銀座通り」だ。

 所沢は江戸時代、鎌倉街道と江戸への街道が交わった交通の要衝だった。宿場や、周辺の産物が市(いち)に集まる地域経済の中心として発展。明治にかけては綿織物「所沢飛白(かすり)」の一大集散地となった。今の「銀座通り」を中心に、「見世蔵(みせぐら)」と呼ばれる蔵造りの商家が軒を連ねた。

 今では都市化が進み、通りの風情も一変した。だが、地元では、わずかに残る蔵造りなどを生かしながら、歴史を伝えていこうという試みが始まっている。

 「蔵造りから高層マンションが並ぶ通りに変わったが、広くなった歩道をうまく利用するなど、出来ることはあるはず。街の歴史に関心が高まることで、住民同士の出会いが生まれ、地域の輪が広がれば」。そんな期待を胸に、三上さんはきょうも街の語り部を続けている。

2009年12月17日木曜日

航空発祥の地 所沢市<この街に生きる

航空発祥の地 所沢市<この街に生きる
2009年9月22日 読売新聞を抜粋編集

 所沢航空記念公園と周辺一帯は、終戦時まで、旧日本陸軍の所沢飛行場だった。

 同飛行場は1911年(明治44年)4月、日本初の飛行場として開設された。敷地面積は当初、約76ヘクタール。滞空記録への挑戦や、航空技術開発、操縦士の養成など、始まったばかりの日本航空界をリードした。

 古典機が飛び回り、滞空記録の更新などを競っていた所沢飛行場に変革をもたらしたのは、航空先進国・フランスから1919年(大正8年)に招かれた、フォール大佐を中心とする約50人の航空教官団。最新の操縦法や発動機の扱い方、整備方法などを、日本の軍人らに教えたのだ。

 最大約365ヘクタール、今の中新井地区まで広がっていた所沢飛行場は、終戦で米軍に接収された。

 2011年は、所沢飛行場開設から100年の節目となる。

2009年12月16日水曜日

箭弓稲荷神社 東松山市 <この街に生きる

箭弓稲荷神社 東松山市 <この街に生きる
(2009年5月12日 読売新聞を抜粋編集

 東松山駅西口から、南西に50メートルほど歩くと、高さ約8メートルの鳥居が視界に飛び込んでくる。その下をくぐり石畳の道を抜けると、地元では「やきゅうさま」と親しまれている箭弓(やきゅう)稲荷神社にたどり着く。

 社記によると、箭弓稲荷神社は712年(和銅5年)の創建。当時は、「野久」や「矢久稲荷」と呼ばれていたという。約300年後の平安時代中期、下総国(千葉、茨城両県の一部)で城主・平忠常が謀反を起こし、朝廷は追討の任に源頼信(968~1048年)をあたらせた。頼信は野久が原に本陣を張り、近くに神をまつる古いほこらを発見、野久はすなわち箭弓(矢弓)に通じ、武門の神であるとして祈願したところ、頼信軍が戦に勝利。帰陣した頼信は社殿を再建し、以後、社名を箭弓稲荷と呼ぶようになったと言われる。

 こうした歴史的背景から、戦前・戦中を通じ、同神社には戦勝祈願に訪れる参拝者が多かった。

 近年の参拝を巡るキーワードは「野球」だ。語呂合わせから、小中高の選手から埼玉西武ライオンズのプロまで、毎年、祈願申し込みがある。県立滑川総合高校出身の阪神・久保田智之投手、楽天の野村克也監督らは常連の参拝客としても知られている。

2009年12月14日月曜日

小説「天の園」記念碑 東松山<この街に生きる

小説「天の園」記念碑 東松山<この街に生きる
2009年4月21日 読売新聞を抜粋編集

 東松山市の、唐子地区は今も清流・都幾(とき)川や田んぼが広がる自然豊かな地域だ。その中心部、唐子中央公園の一角にある石の記念碑には、こんな言葉が刻まれている。

 <景色でおなかのくちくなる(=おなかいっぱいになる)ような子どもに育てます>

 幼少期をこの地で過ごした作家・打木村治(うちきむらじ、1904~1990年)が書いた児童文学小説「天(てん)の園(その)」(72年)の中で、主人公「河北(かわきた)保」の母が述べた言葉だ。

 「天の園」は明治後期から大正期、打木が小学校時代まで過ごした唐子村を舞台に書かれた全6部の長編小説で、「河北保」は小学校時代の打木がモデル。川で魚を取ったり泳いだりし、野山を駆ける子どもたちと、その成長を優しく見守る大人たちの様子が生き生きと描かれている。

 作中には「代官屋敷」と呼ばれる家が登場する。そこでよく遊んだという松本礼子さん(64)は、「それはもう大きな家で、皆で走り回ったものです。もっと早く小説が出ていれば、市が保存していたはず」と残念がる。

 「日本人の忘れたものが全部入っている」。数年前にこの地区に移り住んだ室田朱実さん(53)も、「天の園」にほれ込んだ。新座市で小学校教師を務める傍ら、東大や埼玉大で教育の実践論を教えていたが、偶然訪れた唐子地区の美しい風景に魅了され、そこで出合った「天の園」を教育に生かそうと、教師を早期退職して移住。昨年から小説の世界を広め、残す活動を始めた。地区内で古民家を改装し作った丸太小屋で、今年から「雲の大学」と題し、2か月に1度、小説から様々なことを学ぼうとサロンを開く。

 「人と人とのふれあい、自然の大切さ。この小説が広まれば、教育や子育てがもっと良くなっていく」。室田さんはそう信じている。

2009年12月13日日曜日

世界企業ボッシュ 東松山市 <この街に生きる

世界企業ボッシュ
2009年4月7日 読売新聞を抜粋編集

世界大手のドイツの自動車部品メーカー「ボッシュ」の存在は、東松山市にとって大きい。敷地面積は16万3000平方メートルで、東京ドーム3・5個分。戦後の企業城下町としての市の発展を支え続け、産業が多様化した今でも、法人市民税収入の3割強を同社で占めている。

 前身のヂーゼル機器は、1939年(昭和14年)、ディーゼルエンジンに着目した旧日本陸軍の意向を踏まえ、誕生した。社長に就任した織田秀明さん(60)は、「工場建設の候補地はほかにもあったが、松山町の町長が『質実剛健の武蔵武士がそろっております』と提出した陳情書が効いたようです」と話す。

 旧陸軍は戦車用にディーゼルエンジンを必要としたが、技術的に高度で国産化が難しかったため、同盟関係にあったドイツのボッシュに頼っていた。そこで国産化を図ろうと、旧陸軍の意向を受け、創立されたのがヂーゼル機器だった。

 同社は軍需に頼っていたため、終戦直後、ほぼすべての社員が一度退職することに。しかし、自動車産業が復活の兆しを見せ始め、ヂーゼル機器もカーエアコンなどの製造に転じて業績を伸ばし始めると、60年に1000人程度だった社員は、高度経済成長に伴い、66年には5000人を超えた。地域行政にも貢献しようと、労働組合から東松山市議会に議員を2~3人送り出すようにもなった。

 ヂーゼル機器は、分割や合併を繰り返し、05年、ボッシュグループの日本法人「ボッシュ」となった。環境分野などで先端技術を開発し続け、世界で従業員27万人、売上高460億ユーロ(約6兆3000億円)の巨大グループの一員だ。

2009年12月10日木曜日

正法寺(しょうぼうじ)岩殿(いわどの)観音 東松山 <この街に生きる

正法寺(しょうぼうじ)岩殿(いわどの)観音
2009年3月24日 読売新聞を抜粋編集

 高坂駅西口の改札を抜けると、眼前に小高い丘陵地帯が広がる。この丘の上にあるのが、坂東三十三か所の十番札所、正法寺(しょうぼうじ)だ。三方を丘陵の急斜面に囲まれ、霊験あらたかな雰囲気を醸し出す。境内の奥に観音堂があり、地元では「岩殿(いわどの)観音」の名で親しまれている。

菊池雄星投手、初の埼玉入り

菊池雄星投手、初の埼玉入り
 2009年12月9日(水) 埼玉新聞を抜粋編集

 プロ野球の埼玉西武ライオンズに新入団する超高校級左腕、岩手・花巻東高の菊池雄星投手(18)が8日、所沢市の西武ドームや若獅子寮などの施設を見学。菊池投手は夢舞台となるグラウンドに足を踏み入れ、決意を新たにしていた。

 菊池投手は「緑が多く、街もきれい。もう少し都会かなと思っていたが、岩手と似ていて山に囲まれているし、野球に専念できる素晴らしい環境」と笑顔で印象を語った。

2009年12月8日火曜日

丸木美術館 東松山 <この街に生きる

丸木美術館 東松山 <この街に生きる
2009年3月10日 読売新聞を抜粋編集

 東松山市南部を東西に流れる都幾(とき)川。この清流を背にした下唐子の小高い丘に「原爆の図 丸木美術館」が立つ。雑木林に囲まれ、鳥のさえずりも聞こえる自然豊かな地だ。今から約40年前、画家の丸木位里(いり)、俊(とし)夫妻が、ここにアトリエ兼住居を構え、作品を通じて反戦平和を訴え続けた。

 位里さんは1995年に94歳で、俊さんは2000年に87歳で亡くなったが、美術館の運営は、67年の開館翌年に発足した財団法人が担っている。約30年間、財団の理事を務めていた元東松山市教育長の田口弘さん(86)は「両先生は、自然に囲まれたこの場所を愛していた。だから地域に奉仕したいと、公共施設に作品も寄贈してくれた。どれも平和を訴えたもので、2人の意思は、この地で引き継がれています」と話す。

 位里さんは1901年、広島県飯室村(現広島市安佐北区)で生まれた。独学で日本画を学び、前衛的な画風を確立。41年に北海道秩父別町出身の洋画家・俊さんと結婚した。

 夫妻は45年8月6日、原爆が投下された直後の広島に入り、約1か月間、被災者の救援に携わった。このときに見た惨状を「原爆の図」(全15部。1部は縦1・8メートル×横7・2メートル)として、約30年間にわたって共同制作を続けた。

 夫妻が東松山市に移り住んだのは66年。翌年、自宅隣に美術館を開いた。度重なる増築を経て、現在は約1200平方メートルの展示面積に、「原爆の図」第1~14部など、計約100点を展示している。

やきとりの街 東松山 <この街に生きる

やきとりの街 東松山 <この街に生きる
2009年3月3日 読売新聞を抜粋編集

 東松山市は、市内の「焼き鳥店」が70店近いという「やきとりの街」だ。2005年の市の独自調査によると、同市は焼き鳥で知られる全国の都市のうち、人口1万人当たりの「焼き鳥店」数が7・2店で「日本一」だとか。

 東松山名物の「やきとり」は、鶏肉ではなく、豚のカシラ肉(ほおとこめかみ部分)を使う。つまり「焼きトン(豚)」だ。

 1961年、黒瀬さんは在日朝鮮人の夫と、屋台をトラックに乗せ、大手自動車部品工場の立地でにぎわう東松山市に移り住み、「大松屋」を始めた。

 近くに食肉センターがあり、当時、食用にはあまり使われないカシラ肉が新鮮、安価で仕入れることができたため、ホルモンから次第にカシラ肉を使うように。故郷・韓国の味を懐かしんだ裴さんが、白みそに唐辛子やニンニク、ゴマ油、みりんなどを調合した辛いみそだれを考案し、カシラ肉に付けて食べるスタイルを確立した。その後、周辺の焼き鳥店もこれにならい、各店独自のみそだれを作り上げ、今では「東松山のやきとり」に欠かせないものとなった。

2009年12月5日土曜日

松山陣屋 東松山 <この街に生きる

松山陣屋 東松山 <この街に生きる
2009年2月24日 読売新聞を抜粋編集

 東武東上線・東松山駅の東口から、飲食店が並ぶ「ぼたん通り」、百貨店・丸広が面する「丸広通り」と、北へ10分ほど歩くと、交差点の一角に東松山市役所がある。その庁舎と通りに挟まれるように、高さ約2メートルの石碑がぽつんと立っていた。正面には、「前橋藩 松山陣屋跡」の文字。

 15回近く移封を命じられ、「引っ越し大名」の異名を取った川越藩主の松平直克(なおかつ)が、松平家が約100年過ごした川越藩から前橋藩(現在の前橋市)に移ったのは幕末の1867年(慶応3年)。その際、残された飛び地約6万2000石を統治するため、いわば役所の出張所として設けたのが松山陣屋だった。だが、5年足らずで廃藩置県を迎え、その役割を終えた。

 「松山陣屋は江戸時代、国内最大規模にして最後の陣屋。土塁、空堀なども備え、前橋城の支城といってもいいほどでした」

 陣屋の敷地は、現在の市役所、松山第一小学校の一部を含む総面積約8万7500平方メートル。約260人の藩士が働き、南側の外陣屋には藩士屋敷など約40棟を構えた。八幡神社付近には鉄砲の練習場もあった。日光裏街道の宿場町でもあった松山は、近郊の農民と合わせ約1600人が住み、ずいぶんにぎわったようだ。

 石川光男さんは、陣屋内の多くの屋敷の玄関が北向きで不便だった、と説明する。「松平のお殿様がいる前橋が東松山から見て北の方角で、『足を向けてはいけない』との理由でそういう造りになったと聞いています」。

 松平家の子孫は、しばしば松山陣屋の跡地を訪れることがあった。

 松山陣屋のあった松山町は、1954年の「昭和の大合併」で周辺の高坂、野本、唐子、大岡の4村と合併し、東松山市となった。

史料で知る近代化 県文書館で企画展

史料で知る近代化 県文書館で企画展
 2009年12月4日(金) 埼玉新聞を抜粋編集

 埼玉初の鉄道開通や秩父事件など、明治初年から終戦直後まで約80年間にわたる県内の出来事を記録した「埼玉県行政文書」が6日まで、さいたま市浦和区の県立文書館で公開されている。展示文書約90点のうち約70点は今年7月、国重要文化財に指定。近代化の波に乗り変容を遂げてきた地域基盤や、人々の暮らしぶりを伝えている。

 秩父事件(1884年)で秩父困民党を率いた田代栄助の裁判言渡書や、日露戦争(1904~05年)の戦没碑を建立する際の許認可書など、歴史事件の影響を示す数多くの史料が見られる。

 地域社会の近代化を象徴する「鉄道」も、展示テーマの一つ。埼玉最初の鉄道開通は1883年、上野―熊谷間の日本鉄道第1区線(現JR高崎線)。2年後に第2区線(現JR宇都宮線)が開通し、分岐点となった大宮周辺が鉄道の町として発展していく様子が文書からうかがえる。

2009年12月4日金曜日

水戸家の付家老の地、飯能を散策 歴史ツーリング

水戸家の付家老の地、飯能を散策 歴史ツーリング
 2009年12月3日(木) 埼玉新聞を抜粋編集

「第7回比企・入間歴史ツーリング」では、「水戸黄門の生みの親」とされる水戸家の付家老(つけがろう)中山信吉(のぶよし)の墓を飯能に訪ねた。

 付家老は、徳川家康が自らの側近5人を御三家の中枢に就けたことから始まった。幕末まで続いたが、飯能の中山氏は古来・高麗氏を祖とした家柄で、信吉は小姓として家康に仕えた。家康の十一男「御三家」の一つとなった水戸徳川家の藩祖水戸頼房(よりふさ)の付家老となった信吉は、家光から後継選びを命じられ、頼房の子供たちと面会、6歳の次男・長丸(光圀)の聡明さに感服し、後継に推挙した。後の名君・水戸黄門誕生の逸話だ。

 中山氏は、丹党(血族で結ばれた武士団)の高麗五郎経家を祖とする。

 飯能の智観寺に眠る関東随一の大きさの中山信吉の墓所を訪問。智観寺に墓参りに来た茨城県高萩市の草間吉夫市長と境内で、偶然に鉢合わせした。

 水戸家の地元茨城から現在でも付家老に墓参りに来たことを知って一同びっくり。草間市長は「尾張の成瀬家や紀伊の安藤家など、付家老の5家由来の地から5市長が集まった徳川御三家付家老サミットを実施しました。御三家の家老5家由来の5市では、大規模災害応援の協定も結びました」と話した。

 また、幕末、上野・寛永寺の彰義隊から分かれた振武軍が、中山氏由来の飯能で官軍と衝突した「飯能戦争」で、振武軍本営となった能仁寺も訪ね、往時をしのんだ。

2009年11月26日木曜日

火渡りで無病息災 成田山川越別院

火渡りで無病息災 成田山川越別院
 2009年11月25日(水) 埼玉新聞を抜粋編集
 
 川越市久保町の成田山川越別院(石井照典主監)で23日、無病息災を祈願する、この時期恒例の火渡り祭が行われた。今回で15回目。

 高さ1メートルのマキを積み、その周りを覆ったヒバの葉に松明を使って火を入れ、法楽を揚げた。山伏姿の僧侶が燃え上がる火の中に古札などを投げ込むと、さらに炎は勢いよく熱く燃え上がった。下火になると、素足の僧侶が次々と歩いて火を渡った。この後、参拝者500人も素足姿で火渡り。それぞれの願いを託していた。

2009年11月24日火曜日

東武は川越・東急は横浜を 2012年の直通運転へ両鉄道がタッグ

沿線の魅力伝える名所巡り 来月共催
2009年11月24日 朝日新聞を抜粋編集

 東武鉄道は川越市、東急電鉄は横浜市の魅力を知ってもらおうと、それぞれのターミナルがある地域の観光名所を巡る「ウオーキング」を12月に共催する。両市沿線が副都心線経由で直通運転になるのは2012年。大手私鉄2社が行政に先立って、観光客の新しい供給源と見定めた地域に誘致作戦を仕掛けた形だ。

 「小江戸川越ウォーキング」は12月6日午前10時、東武東上線川越駅をスタート。喜多院、菓子屋横丁、蔵造りの街並みなどを約2時間で巡る。NHK連続テレビ小説「つばさ」に出演した俳優の脇知弘さんが参加者を応援する。

 「横浜みなとみらいウォーキング」は同19日午前10時、東急東横線横浜駅をスタート。横浜ランドマークタワー、横浜赤レンガ倉庫などを巡り、約2時間で山下公園にゴールする。

 東横線が地下に潜って副都心線と直通になるのは3年後だが、この時期に共催する理由について両社は「副都心線開業で東急東横沿線と東武東上線沿線がより身近になった」と説明する。「沿線の魅力を伝えたい」(東武鉄道)と、「つばさ」や「横浜開港150周年」の蓄積をばねに、両市の観光振興の後押しを図る構えだ。

2009年11月20日金曜日

8都県市首脳会議 分権改革へ活発議論 

8都県市首脳会議 分権改革へ活発議論 
2009年11月20日 埼玉新聞を抜粋編集
 
 首都圏の知事と政令市長による「8都県市首脳会議」が18日、さいたま市浦和区で開かれ、地方自治体の裁量権を保障するため、新たに「地方自治基本法(仮称)」を制定するよう国に働き掛けていくことで合意した。

 基本法制定を提案した神奈川県の松沢成文知事は「現行の地方自治法は組織や運営の細部まで規定し、地方自治を保障するというより、国が地方を管理する法律に成り下がっている。大まかなルールは基本法とし、それ以外は条例で各自治体が決められるようにするべきだ」と指摘した。

 地方自治法に基づく環境特化の「首都圏広域連合」については、道州制などを視野に設置する方向で合意した。

2009年11月19日木曜日

自転車モトクロスコース完成 秩父に県内初

自転車モトクロスコース完成 秩父に県内初
2009年11月18日(水) を抜粋編集

 秩父市大滝の滝沢ダム左岸滝沢園地に「秩父滝沢サイクルパーク」が完成した。アウトドアスポーツの一つとして注目されるバイシクルモトクロス(BMX)の本格公認コースで22日にオープンする。県内では初めて。

 BMXは1970年代にアメリカで生まれた自転車競技。競技はコース内の小高いスタート台から一気に下り、数十カ所の“盛土”を走り抜ける。ほかの自転車競技に比べ安全で家族、親子の参加も多いという。若い世代のスポーツとして昨年の北京五輪から公式種目になった。現在、BMX公認コースは全国に7カ所ある。同サイクルパークは首都圏3カ所目だが、国際大会も開催できる東日本有数の施設。

 サイクルパークの面積は約9500平方メートル。本コース(345メートル)とトレーニングコース(220メートル)、スタート(高さ5メートル)、ゴール施設、木製ステージなどがある。事業費は7800万円。

 BMXコースは大滝地区の若者が「地域を元気にしたい」との熱い思いで建設計画が始まったという。この夏、大滝活性化青年会議の役員らが中心になり秩父BMX協会(千島輝大会長)が設立された。

 記念レースは、全日本BMX連盟スーパーシリーズ第6最終戦。日本を代表するプロライダーの迫力ある走りが見られるほか、子どもから大人まで、クラス別のレースが行われる。同時に市民を対象にした体験教室が開かれる。

 市大滝総合支所は「幅広い年齢層が楽しめるスポーツで教室や講習会を開くなど、愛好者を増やしたい。来春には全日本選手権大会を予定している」という。将来は「秩父からオリンピック選手を」との期待も高まる。

2009年11月18日水曜日

河越館跡史跡公園オープン

河越館跡史跡公園オープン
2009年11月17日(火) 埼玉新聞を抜粋編集

 平安時代から南北朝時代にかけて武蔵国で有数の勢力を誇った武士「河越氏」の居館跡で、国の史跡に指定されている河越館跡(川越市上戸)の一部を活用した「河越館跡史跡公園」が完成、15日から一般に開放された。

 2007年から3カ年で取り組む発掘を伴う第1期史跡整備事業がほぼ完了したため、史跡を保存するとともに郷土学習や市民の憩いの場として活用してもらおうと、川越市教委が遺構を復元したり、中世の銘茶「河越茶」に近い在来種の木を植えた広場などを設置した。

 市教委によると、史跡の面積は約4万8千平方メートル。公有地化している約3万7千平方メートルのうち、第1期分として約1万3千平方メートルを整備した。公園は霊廟(れいびょう)とみられる遺構や井戸などを復元した史跡の広場(約5万7千平方メートル)と芝生と、お茶の木を植えた「茶太郎広場」に分かれている。

 市教委は「河越重頼の娘は源義経の正妻になったことでも知られており、河越氏の居館跡は中世武家を支えた武士の実態を知ることができる重要な遺跡」と来場を呼びかけている。

 開園は午前9時から午後5時(4月~9月は午後6時まで)。入場無料。年末年始(12月29日~1月3日)を除き年中無休。

2009年11月16日月曜日

全国には7つの小江戸が

小江戸といえば、川越市、栃木市、香取市が御三家ですが、他に4個所あります。
  1. 川越市 
  2. 栃木市 
  3. 千葉県香取市 
  4. 千葉県夷隅郡大多喜町 
  5. 神奈川県厚木市 
  6. 静岡県磐田市 
  7. 滋賀県彦根市
小江戸ウィキペディア

埼玉B級ご当地グルメ王決定戦:優勝は秩父「みそポテト」

埼玉B級ご当地グルメ王決定戦:優勝は秩父「みそポテト」
2009年11月15日 毎日新聞を抜粋編集

 県内のご当地グルメの個性や味を競う「第5回埼玉B級ご当地グルメ王決定戦」が14日、秩父鉄道秩父駅前と秩父まつり会館前通りを会場に行われた。さいたま市や川口、川越、行田市など21市町村から、うどんやあずき、おからなどを材料に23品のグルメが味を競い、秩父市の「みそポテト」が初優勝した。

 各グルメの売店が並ぶ約300メートルの通りは約3万5000人であふれかえった。

 上位入賞は次の通り。
 2位=つみっこ(本庄市)▽3位=おっきりこみ(秩父市)▽4位=はんのう味噌付けまんじゅう(飯能市)▽5位=なめがわもつ煮(滑川町)

2009年11月13日金曜日

行田のB級グルメ大会大盛況

行田のB級グルメ大会大盛況
2009年11月12日(木) 埼玉新聞を抜粋編集

 8日に行田市役所周辺で開催された「第2回行田市B級グルメ大会」に県内外から5万8千人もの来場者が訪れた。全国屈指の料理が顔をそろえたことで、3時間待ちという店も出るほどの盛況ぶり。「ゼリーフライ」「フライ」の2商品を全国発信しようと本腰を入れる行田市が手ごたえをつかむ一方で、2つの行田名物に秘められた底力が早くも発揮された。

 大会に参加した"ご当地グルメ"は全21店。行田名物のゼリーフライとフライ、羽生市のいがまんじゅうといった県内料理に加え、何と言ってもB級グルメの全国大会「B―1グランプリ」の歴代グランプリが顔をそろえたのが人気を呼んだ。今年の覇者「横手焼きそば」(秋田県横手市)をはじめ、過去3回で栄冠を勝ち取った「シロコロホルモン」(神奈川県厚木市)、「富士宮焼きそば」(静岡県富士宮市)―。

 この日も出店した行田ゼリーフライ研究会は、山梨、静岡、福岡など全国各地を駆け巡ってきた。各団体への出店依頼で重要な役割を果たしたのも同会だ。松井秀二郎会長は「今日ばかりは他店の売れ行きが気になって。こんなに多くの人が来てくれて大成功」と、ほっと一息。「B級グルメの仲間には、ライバル意識と同時に連帯感も生まれている。お互いの頑張りを見ることができるのも、行田にゼリーフライとフライがあったおかげ。私たちも全国各地で恩返しするつもり」

 松井会長によると、B級グルメには(1)古くから愛されている(2)家庭で食べられてきた(3)複数の店舗で味わえる―の3要素が不可欠で、ゼリーフライとフライはぴったり当てはまる。松井会長は力を込めて言う。「グランプリは十分狙える。ただ、私たちが目指すのはそこじゃない。名物を求めて観光客が訪れた時、行田を好きになってもらえる体制を地元でつくり上げていかないと」

2009年11月12日木曜日

市町村合併:新「久喜市」正式決定

市町村合併:新「久喜市」正式決定
2009年11月11日 毎日新聞を抜粋編集

 総務省は10日、久喜市と菖蒲、栗橋、鷲宮3町の合併を官報で告示した。これで地方自治法などに基づく合併のための全手続きが終わり、来年3月23日に新「久喜市」が誕生することが正式に決まった。

 合併後の面積は82・4平方キロ、人口は約15万7000人(今年4月現在)。市庁舎には現久喜市役所を使い、3町の役場は総合支所となる。

2009年11月6日金曜日

小川町商工会「ぴっかりブランド」スタート

小川町商工会「ぴっかりブランド」スタート
 2009年11月5日(木)埼玉新聞を抜粋編集 

 小川町には和紙や建具、地酒、絹など県内外に自慢できる物産品がたくさんあるが、身近すぎて魅力にあまり気づいていない。小川町の魅力を高める物産品にスポットを当て認定していく新しい制度「ぴっかりブランド」が今秋からスタートした。 

 認定品となるためには、地域の原材料が使用されている事や安全安心を配慮している事など、同商工会が定めているいくつかの基準をクリアする事が求められる。募集期間中、申請書を小川町商工会へ提出。その後、関係機関を集め設置した審査会(検討会)が可否を決める。

 「ぴっかりブランド」の由来は、和紙を天日干しする時にお天気が晴れると町がもうかるということから名付けたという。小久保会長の実父で、小川町の名誉町民・故小久保太郎氏が作詞した曲「ぴっかり千両」にあやかった。

2009年10月30日金曜日

川越観光キャッチフレーズは「時 薫るまち」 

川越観光キャッチフレーズは「時 薫るまち」 

10月29日 毎日新聞
 江戸情緒が残る小江戸川越の観光をPRするキャッチフレーズが28日、川越市で開かれた小江戸川越観光協会(粂原恒久会長)の創立50周年式典で発表された。最優秀の特賞に、栃木県足利市の主婦、浜田あゆ美さん(29)の「時(とき) 薫るまち 川越」が選ばれた。
 協会が記念事業として公募し、県内外の217人から計629点の応募があった。浜田さんは日高市出身で、蔵造りの町にそびえる「時の鐘」や懐かしい菓子の香りが漂う「菓子屋横丁」などをイメージしたという。

2009年10月26日月曜日

東京スカイツリーの高さは、「武蔵」

2012年に開業の新電波塔、東京スカイツリーの高さは、634(むさし)メートルで世界一です。
「武藏」とは、埼玉、東京、神奈川の一部のことです。
東京スカイツリーは墨田区にあります。

東京スカイツリー 公式サイト
東京スカイツリーウィキペディア

2009年10月22日木曜日

埼玉の魅力再発見の検定実施中

2009.10.19 産経新聞を抜粋編集

「東京五輪のボート競技が行われたコースがあるのは何市?」-。埼玉県教育委員会は、インターネット上で埼玉の歴史や文化、産業、食などさまざまな分野から出題される「まなびピア埼玉検定2009」を実施している。携帯電話からもアクセスできる。11月3日まで。

http://www.spec.ed.jp/manabipia/kinen-jigyo/kentei/index.html

検定は30日から県内各地で開催される生涯学習の祭典「まなびピア」の記念事業。一般用と小学4年生レベルの子供用、お試し用の3コースがある。一般用では4択問題で5ステージをクリアすると1級、4ステージで2級と認定され、合格証が表示される。

合格証を印刷か携帯電話に保存して、11月1日にさいたまスーパーアリーナ(さいたま市中央区)で開かれる「埼玉検定クイズ大会」に持参すると、もれなくオリジナルハンドタオルなどのプレゼントがある。

2009年10月21日水曜日

ご当地グルメ大集合 行田・11月8日

 2009年10月20日(火) 埼玉新聞を抜粋編集

 多彩な“ご当地グルメ”を集めて11月8日に開催する「第2回行田市B級グルメ大会」に、今年のご当地B級グルメ全国大会「B-1グランプリ」でグランプリを獲得した「横手焼きそば」(秋田県横手市)が出店することが19日までに、分かった。過去4回の同グランプリで優勝経験のある「シロコロホルモン」(神奈川県厚木市)、「富士宮焼きそば」(静岡県富士宮市)も初出店する予定で、関東と北関東を代表するB級グルメを満喫できる1日になりそうだ。

 今年の出店は、昨年の第1回の16店を上回る21店。もちろん、同グランプリに出場を続ける行田市のゼリーフライも健在で、「かねつき堂」「むらまつ」「行田ゼリーフライ研究会」の3団体がエントリーする。ほかにも、「太麺焼きそば」(群馬県太田市)、「おつけだんご」(山梨県大月市)、「黒石つゆやきそば」(青森県黒石市)といった今年の同グランプリ出場料理が名を連ねる。

 県内からは、もうひとつの行田名物「フライ」をはじめ、いがまんじゅう(羽生市)、小松菜ぎょうざ(三郷市)、鴻巣コロッケが出店。県外からも餃子(栃木県宇都宮市)、いもフライ(同佐野市)白河ラーメン(福島県白河市)などが準備を進めている。

 大会は、行田市役所周辺を会場に午前10時から午後4時まで。昨年は2万3千人が訪れた。同市観光協会は「全国の味自慢が集合するが、行田のゼリーフライ、フライも負けない味だと実感してもらえれば」と、多くの来場に期待している。

2009年10月19日月曜日

埼玉新聞の題字の背景画

埼玉新聞の題字の背景画 【画像】

上段は、秩父連山にシラコバト
中段は左から、ケヤキ、さきたま古墳、荒川、稲穂
下段は麦、野球のボール、サクラソウ、サッカーボール

雄大な自然と実り豊かな大地に富むスポーツ県であることが感じられます。

2009年10月15日木曜日

奥の山に未盗掘石室 行田・埼玉古墳群

2009年10月14日(水) 埼玉新聞を抜粋編集

国指定史跡の埼玉古墳群(行田市)の南端に位置する奥の山古墳に未盗掘とみられる石室が存在することが12日、明らかになった。6世紀前半に造築されたとされる同古墳。

墳丘地表面から深さ3メートルほどの位置に二つの影があることが分かり、2メートル×4メートルほどの部屋があると確認された。通常、石室には鏡や馬具、武具などが埋葬されており、金錯銘鉄剣も稲荷山古墳の二つの石室のうち、未盗掘だった一方の石室から出土している。


世界遺産サポーターの会の鈴木秀憲会長は、いろいろなことが分かれば、『事実の証明が難しい』として退けられた世界遺産へ一歩近づくはず」と話している。

2009年10月12日月曜日

「つばさ」思い出す場に 記念碑を設置 川越・鏡山酒蔵跡地

 2009年10月11日(日) 埼玉新聞を抜粋編集

 川越を舞台にしたNHK朝の連続テレビ小説「つばさ」の放送を記念したモニュメント「つばさ記念碑」の除幕式が10日、川越市新富町の鏡山酒造跡地で開かれた。

 記念碑は鳥の羽とドラマで使用された和菓子「甘玉」をモチーフにしたステンレス製のモニュメント。高さ約1・2㍍で、御影石(高さ1㍍)の台座に乗っている。同協議会から依頼された東京芸大大学院の木戸龍介さん(25)がドラマの副題「きずな」をテーマに製作したという。

2009年10月7日水曜日

大盛況のコエドビール祭

2009 年 10 月 6 日 クオリティ埼玉を抜粋編集

コエドビール祭は、COEDOのブランドコンセプト”Beer Beautiful”を直接体感できる場。”Play Drinking(酔いを楽しむ)”をテーマに、「食」×「音」×「芸」×「舞」=「宴」を五感で楽しむイベントだ。毎秋16日間にわたって独ミュンヘンで繰り広げられる世界最大のビールの祭り”オクトーバーフェスト”にならって、2007年からCOEDO(株式会社協同商事)が開催している。

過去2回は、ブルワリー工場敷地内で行われていたが、今回はさいたまスーパーアリーナけやきひろばでの開催となって、よりパワーアップ。開場とともに多くの人々が詰めかけた。

COEDOビールには、コンテストで3年連続最高位の三つ星を受賞しクリスタルアワードを世界で7番目(日本初)に獲得したという「紅赤 -Beniaka-」をはじめ「瑠璃-Ruri-」「伽羅-Kyara-」「白-Shiro-」「漆黒-Shikkoku-」の全5銘柄がある。これら5 銘柄は全て、欧州二大食品品評会と言われるiTQiコンテスト、モンドセレクションで受賞というレベルの高さ!当日は、これら5銘柄を樽生ビールで楽しむことができた。

「紅赤-Beniaka-」は、川越名産のサツマイモを原料の一つに用いたラガー。赤みがかった色とほのかな甘さ、豊かなコク、なんとも深い味わいだ。小麦100%の白い無濾過ビール「白-Shiro-」は、とにかくフルーティー&クリーミー。いくらでも飲めてしまえそうな味だ。このようにそれぞれ味わいに大きな特徴があるコエドビールの5銘柄。いろいろ飲み比べて楽しむビールファンの姿も見られた。

主催した協同商事の朝霧重治代表取締役は「若者のアルコール離れと言われますが、ビールの本当の味わい、楽しさを少しでも多くの人に知ってもらいたい」と語る。朝霧代表は、ビール祭前日までニューヨークに滞在。既に海外への輸出も始まり、好評だという。

2009年9月29日火曜日

キグレサーカス川越公演 10月11日~12月6日

 2009年09月28日(月) 埼玉新聞を抜粋編集

 日本三大サーカスの一つ、キグレサーカスを川越で開催します。迫力満点の熟練の技や愛らしい動物の芸などの数々が披露されます。

 ◇とき 10月11日(日)~12月6日(日)=木曜日休演

 ◇ところ 圏央道川島インターチェンジ南側特設会場(県道12号線下府川バス停隣、川越市菅間字石橋18の1)

 ◇主なプログラム 一本綱人間ミラーボール、空中アクロバット、イヌやサルなどのショー、鉄球の中を駆け巡る決死のオートバイショーなど

 ◇入場料 大人前売り2400円(当日2700円)子ども(3歳~中学生)前売り1200円(当日1500円)

 ※前売り券、指定券予約は10月31日まで受け付け。当日券は会場のみの販売、指定券はキグレサーカス川越公演事務局への電話予約と会場での販売となります

 ◇問い合わせ先 キグレサーカス川越公演事務局TEL049・239・3700(10月4日以降はTEL049・298・5410)

 ◇前売り券取扱所 埼玉新聞社チケットセンター、チケットぴあ、ローソンチケットほか

 主催 埼玉新聞社  協賛 明治製菓、三国コカ・コーラボトリンク

2009年9月28日月曜日

埼玉西武と熊谷うどんのコラボ 「獅子うどん」誕生

 2009年09月27日(土)埼玉新聞を抜粋編集

 熊谷うどんを使った埼玉西武ライオンズのオフィシャル商品「獅(しし)うどん」が、西武ドームなどで販売されている。熊谷市の企画販売会社のアスレプランニング(室田卓也代表)が作っており、西武ファンなどの評判は上々だ。

 熊谷うどんは熊谷産の小麦を熊谷で製粉、製麺したうどん。熊谷が日本の小麦生産技術を確立した「麦王」こと権田愛三の出身地で、国内でも有数の小麦の産地であることから、関係業者が一体となって売り出しているB級グルメだ。

 獅うどんは、熊谷うどんを作っている市内の製麺業者が製麺。あやひかりと農林61号という品種の小麦をブレンド。「ライオンズの野球と同じで、粘り腰で味があるのが特徴」(代表の室田さん)。360㌘入りで1000円。箱には西武ドームでの試合風景の写真が印刷されている。

2009年9月16日水曜日

曼珠沙華 間もなく開花 日高市

 2009年9月16日(水) 埼玉新聞を抜粋編集

 日高市産業振興課観光担当は、同市高麗本郷の巾着田(きんちゃくだ)に咲く100万本のマンジュシャゲ(彼岸花)の開花状況を発表した。それによると、群生地では現在、三分咲きで、開花が順調に進み、20日前後に見ごろを迎えると予想している。

 。同市は21、22、23日の3日間、巾着田からサイボクハムまで無料シャトルバスを運行する。乗降場所は高麗神社、長澤酒造、日高市役所、弓削多醤油、加藤牧場。

 また西武鉄道は27日まで特急レッドアロー号を増発し、最寄りの高麗駅に臨時停車させるほか、飯能駅~高麗駅間で増発する。

2009年9月9日水曜日

「中心市街地活性化と酒造跡地の活用についての私案」 川越

9月26日の講演会の概要を下記の通り連絡いたします。

テーマ:中心市街地活性化と酒造跡地の活用についての私案

主催:ホモセルビエンス研究会(高碕経済大学のOBを中心としたサービス経済の研究会)

当日例会に先立ち今回のテーマの酒造跡地他、川越市内の見学会を計画します。

川越の町を予め見ていただいたほうが発表の内容を理解しやすいと思いますので、時間が許す方は是非見学会よりご参加ください。

14:00~川越市内見学会

18:00~講演会

21:00~懇親会

見学会集合場所及び例会開催場所

蓮馨(れんけい)寺 講堂(駐車場有):川越市連雀町7-1 TEL 049-222-0043
 

 川越駅東口(JR・東武)及び本川越駅(西武)下車でバスの便あり

 東武バス/蓮馨寺前下車(蔵の街経由のバスがここを通ります。5~10分間隔)

懇親会会場:湯遊ランド 蓮馨寺より徒歩5分

 なお懇親会場では宿泊も可能です。

 入浴及び仮眠室利用(約2500円当日申し込み可)

 シングルルーム(8085円以下で値下げ交渉中・9月15日までに要予約です。

 宿泊希望者をまとめて桑島まで連絡してください。シングル3部屋仮予約中)

以上、当日お待ちしておりますので、皆様方お誘い併せの上、ご参加の程よろしくお願いします。

桑島

2009年9月7日月曜日

埼玉自民党全滅!歴史に残る大敗ぶり

2009 年 8 月 31 日 クオリティ埼玉を抜粋編集

総選挙は、事前の予測通り民主の圧勝。自民の大敗に終わったが、それにしても埼玉の自民大敗ぶりは歴史に残る惨敗ぶりだった。有権者は、もうこの党にすっかり見切りをつけてしまった感が強い。

公明党の敗け方もすごかった。自公を錦の御旗にかかげて、国民の怒りを少しも感じてこなかったしっぺ返しだろう。

1区金子氏、5区牧原氏、6区中根氏 の惨敗ぶりはこれ又ひどすぎる結果である。13区の土屋氏は七光の威光はすっかり霞んでしまった。かろうじて、2区新藤氏、8区柴山氏は比例区復活ができ たが、地方の自民党を含めて解党的出直ししか、この党の未来は全くみえてこない。

2009年9月5日土曜日

ブランド化とPB強化 野中正人しまむら社長 さいたま市

2009年9月4日(金) 埼玉新聞を抜粋編集

しまむら(さいたま市北区)は衣料専門店「ファッションセンターしまむら」を全国に1100を超す店舗を展開している。女性のファッション雑貨やベビー用品、カジュアルシューズなどの店舗も展開。景気や雇用の悪化による消費の低迷、天候不順など経営環境は厳しい。今期、どう取り組んでいるのか。同社の野中正人社長に聞いた。

-今期の取り組みは。

「『ブランド化』を統一テーマに取り組んでいる。
ブランド化とは、お客さまからあてにされるお店、信頼されるお店、しまむらに行こうといってもらえるお店になるということだ」

「これまで、店内でゆったりと買い物ができるようにと、店舗の改装や建て替えといったハードの環境を整備してきた。
強く訴えられるPB(プライベートブランド=自主企画)にしていこうと、PBの強化、再編にも取り組んできた。一通りの準備が終わった」

-既存店の売上高は前年を上回っています。

「ゴールデンウイークにかけて暑くなったし、雨も少なかった。
要因としては、天候が昨年に比べて格段に良かったことが挙げられる。
トレンド提案に力を入れたことも売れ行きにつながった。PB商品も好調だった。ブランド化に向けて良いスタートが切れた」

-課題は。

「すべての部分でレベルアップすることだ。
ひとつには、トレンドの変化に対応できるように、短いサイクルで商品を納入できるようにすることなどが必要。
ブランド化は一朝一夕にできるものではない。
低価格とファッショントレンド、素材機能にこだわったPB商品の三つがバランスよく提供できるようになることで、お客さまに足を運んでもらえるお店になる」

-PBの売上比率が拡大していますが。

「(今期は)PBの割合は30%を超える程度まで拡大するだろう」

-今期の出店は。

「80店舗程度を予定している。
このうち、ファッションモールの出店は9店舗。
毎年、年間に40から50店舗を出店していきたい」

「今期は29店舗を改装する」


-子会社アベイルを吸収合併しましたが。

「別会社とするメリットがなくなった。一体として取り組んでいくべきだと判断した」

-個人消費についてどうみていますか。

「良くなる要素はない。
失業率はじわじわと上昇しており、先行き不安が高まっている。
(消費は)ますます冷え込むだろう」

野中正人【画像】

2009年9月4日金曜日

かわいいピンクのシュウカイドウが見ごろ ときがわ町

 2009年9月3日(木) 埼玉新聞を抜粋編集
 
 ときがわ町椚平(くぬぎだいら)地内の山斜面に自生しているシュウカイドウの花が見ごろを迎えている。2、3センチのかわいらしいピンク色の花は個人宅の庭先などにも咲いている。

 多年草のシュウカイドウは松尾芭蕉が句の中で秋の季語として詠んでいる。江戸時代初期に日本に持ち込まれた。園芸用の種はベコニア。

 ここ数年、開花時期が早く今年も8月中旬に咲き出した。その分、見ごろの時期も長くなったという。今月中旬ごろまで楽しめそう。

 群生地から約500メートル離れたところには、郷土料理や工芸品の製作体験などができる「くぬぎむら体験交流館」があり、シュウカイドウの案内もしている。

2009年8月27日木曜日

ジモトのおやつアイデア募集 県南西部地域振興センター

 2009年8月26日(水) 埼玉新聞を抜粋編集

 県南西部6市1町(朝霞市、志木市、和光市、新座市、富士見市、ふじみ野市、三芳町)の地域ブランド創出を目指す県南西部地域振興センターは、地元の食材を使った新しい「ジモトのおやつ」のレシピを募るアイデアコンテストを実施。入賞したおやつの商品化も検討しており「夢あるアイデアを」と呼び掛けている。

 同センターによると、東京に隣接する県南西部地域は全国に知られるような「名物」がない。手土産になるような新しい名物をつくり、商品開発や販路開拓につなげるのが狙い。

 メニューの条件はニンジンやホウレンソウ、ナシ、コメなど地域の農産物を使ったものか、昔から地域に伝わるおやつをベースにしたものであること。料理の専門家らを迎えて審査を行い、11月ごろ最優秀賞1点、優秀賞3点を発表する。最優秀賞には商品券2万円分が贈られる。企業に働きかけて商品化も視野に入れているという。おやつのタイトル、材料と作り方、写真やイラストを添えて応募する。グループでも可。

 また同センターは地域ブランド創出の一環として、6市1町で販売されている洋菓子やスナックなど75店舗の105商品からおやつベスト10を決める「ジモトのおやつイチオシ投票」も実施している。ホームページ( http://j-oyatsu.com/ )に一覧表が掲載されており、1人5点まで投票できる。写真と簡単な説明があり「こんなお菓子あるんだ」という面でも楽しめる。結果発表は11月ごろ。

 応募・投票方法は、氏名、住所などを明記しファクス、メール、郵便で。締め切りはいずれも9月30日(必着)。問い合わせ先は同センター(TEL048・451・1110)へ。

2009年8月26日水曜日

埼玉県が外国人支援相談センターをオープン

埼玉県が外国人支援相談センターをオープン
8 月 13 日 クオリティ埼玉を抜粋編集

埼玉県は、8月3日、新たに外国人支援相談センターを開設した。法務省、埼玉県社会保険労務士会党と連携して始めたもので、外国人県民の雇用・就労問題支援や出入国制度に関する相談に専門的に対応する。都道府県が法務省と連携して外国人のためにこうした相談センターを設置・運営するのは全国初となる。

 埼玉県では、外国人向けの多言語生活相談(英語、スペイン語、中国語、ポルトガル語、ハングル、タガログ語、対語、ベトナム語)や情報提供を目的に、 2006年度から外国人ヘルプデスクを設置・運営している。これは電話相談で生活相談を中心に幅広い相談を受け、1日平均12件ほどの相談があるという。

 また、県内では10市町に外国人向けの相談窓口がある。身近な生活問題など役所内で完結できる相談事への対応はフットワーク良く対応できるが、多言語や専門性の高い相談への対応は十分とは言えない。また、埼玉には70の市町村があり、全体の7分の1でしかない。
 一方、昨秋以来の、リーマンショックに端を発する経済危機は日本人だけでなく、派遣労働の多い外国人を真っ先に直撃した。仕事を失ったり、経済的に困窮する外国人が急増している。外国人ヘルプデスクの利用件数は2008年度は2894件(前年度比7.9%増)だったが、2009年になってからは前年比3割増と急増。
 内容的にも労働・雇用問題や出入国管理に関する専門的な相談が増え、電話だけでは対応しきれない相談も増えていた。

 ところで、2008年12月末現在、埼玉県には121,515人(対前年比+6,417人、+5.6%)の外国人が登録している。国籍別に見ると1位中国43,411人、2位韓国・朝鮮19,865人、3位フィリピン16,631人、4位ブラジル13,844人、5位ペルー4,767人。

 こうした事情なども考慮し、同センターはスペイン語、ポルトガル語、英語、中国語の4言語に対応。相談日は、毎週月、水、金の週3日、午前9時から午後4時までの予約制となっている。

 相談時間は原則1人1時間以内。労働相談は、月曜日・金曜日(スペイン語、ポルトガル語)、水曜日(英語、中国語)。入管相談は、月曜日・金曜日(スペイン語・ポルトガル語・英語)、水曜日(スペイン語・ポルトガル語・英語・中国語)。予約は、電話・FAXは048−833−3600。メールはsodan@sia1.jpまで。

 とりあえずは、電話で相談してみようという方は、埼玉県外国人ヘルプデスク048−835−2423(月曜日〜金曜日 9:00〜16:00)へどうぞ。外国人ヘルプデスクと外国人支援相談センターは連携しているので、電話相談で解決できない場合は外国人支援相談センターを訪れて対面式で相談することも可能となっている。

2009年8月24日月曜日

夏祭り全開 坂戸よさこい

2009年8月23日(日) 埼玉新聞を抜粋編集
 
 坂戸市の夏を彩る「坂戸よさこい」が22日、坂戸市文化会館や東武東上線坂戸駅、北坂戸駅周辺などで開かれた。市民がそろいの法被を着るなど思い思いの趣向で演舞を披露し、沿道を埋めた市民や観光客らの目を楽しませた。

 同よさこいは2001年、市制施行25周年記念事業としてスタートし、今年で9回目。21日の前夜祭から23日までの3日間の日程で行われ、踊りには117チーム(市内68チーム、市外49チーム)約6500人が参加する。

 この日は正午から、坂戸市文化会館駐車場のステージで開会式が開かれ、フラダンスや坂戸太鼓などが披露されたほか、午後1時30分から同8時まで、同ステージと路上でよさこい踊りが行われた。24日は同じ時間帯でよさこい踊り、ステージでは坂本冬美の新曲演舞が披露される。

2009年8月23日日曜日

変わりゆく狭山伝える写真展

 2009年8月22日(土) 埼玉新聞を抜粋編集

 狭山市駅西口再開発の工事フェンスを利用した“街角写真展”「入間川の懐かしきひとコマ・あんな時こんな時」が9月末まで、西武新宿線狭山市駅西口通りで開かれている。

 展示されているのは、狭山市入間川3丁目で写真館を営んでいた故高橋利三郎氏(明治26年―昭和35年)が撮影した大正から昭和初期の狭山市内の写真約130点。8月上旬に飾り始め、8、9の両日にわたって開かれた入間川七夕まつりに間に合わせた。

 写真は、昭和10年ごろの入間川七夕まつりの模様や、出征兵士を送るラッパを吹いて行進する姿、荷物を運ぶ運送馬など、今の市内の様子からは想像し難い当時の市民の様子がうかがえる貴重なものばかりだ。

 これらの写真は、利三郎氏の息子さん高橋彦一氏(84)から、同商工会議所が一時預かりをしている写真パネルをコピーし、ラミネート加工した。彦一氏は「父の写真の一部は4年前に『写真が語る狭山のあゆみ』として出版した。今回の展示写真は、その写真も含まれている。父の写真から狭山の街の移り変わりを見てもらえれば」という。

 狭山市駅西口前は、現在、2011年度の工事完成を目指し再開発事業が進めらている。完成後は狭い駅前が大きく様変わり。今年3月には「スカイテラス」と愛称も決まり、狭山市の“顔”としての期待が寄せられている。

2009年8月22日土曜日

所沢のひまわり畑 1万本が見ごろ

 2009年8月21日(金) 埼玉新聞を抜粋編集

 所沢市三ケ島4丁目にあるひまわり畑約3800平方メートルのヒマワリ約1万本が見ごろを迎え、訪れる市民の目を楽しませている。

 このひまわり畑は「花を育て、心豊かな活力あるまちづくりを進めよう」と地元の若手経営者十数社でつくる「お花畑の若手経営塾」や所沢商工会議所青年部など「お花畑プロジェクト」のメンバーが6月に種をまき、肥料をやったり、除草をするなど丹精込めて育てた。

 交通は西武池袋線小手指駅発早稲田大学行きバスで大日堂バス停下車徒歩10分。三ケ島幼稚園~所沢ひまわり幼稚園のほぼ中間。

アニメ映画「ホッタラケの島」 入間の「ハタヤの稲荷」をモチーフに

 2009年8月21日(金) 埼玉新聞を抜粋編集

 入間市宮寺の出雲祝神社近くにある「ハタヤの稲荷」。この稲荷に伝わる「願うと無くなった大切なモノが戻ってくる」をモチーフにしたアニメ映画「ホッタラケの島・遥と魔法の鏡」(主演声優・綾瀬はるか)が、22日から全国東宝系映画館で公開される。

 映画では狭山丘陵北麓のハタヤの稲荷、出雲祝神社、不老川周辺の風景が登場する。同市は庁内に「知名度アップ委員会」を組織し、市民や企業、団体と連携した取り組みを進めている。

 その一環として、映画上映に伴うロケ地めぐりなど新たな観光スポットになることが予想されるため、ハタヤの稲荷のお堂の脇に案内標柱(高さ1・5メートル)を設置した。

2009年8月16日日曜日

求ム!ますきゃら 川越市が図案公募

 2009年8月12日(水) 埼玉新聞を抜粋編集

 川越市は市のオリジナルマスコットキャラクター(ますきゃら)の図案を公募している。川越を舞台にしたNHK朝の連続テレビ小説「つばさ」が放映される中、より多くの市民や観光客に親しまれる川越をPRするのが狙い。同市がますきゃらを作るのは初めて。

 募集要項によると、ますきゃらの図案はA4判に描き(手法は自由)、氏名、年齢、住所、電話番号を裏面または別紙に明記する。審査は30日~9月4日までで、応募作品は新富町の鏡山酒造跡地で掲示し、来館者に投票してもらう。その後、投票結果を参考に最終選考を行う。

 応募締め切りは21日(消印有効)。応募は郵送(〒350―8601 川越市元町1―3―1、川越市役所観光課)、またはインターネット(kanko@city.kawagoe.saitama.jp)で。

 応募者全員に参加賞(小江戸川越オリジナル携帯電話用クリーナーと川越まつり会館のペア入館券)をプレゼントするほか、最優秀賞1人に5万円分の商品券と「つばさ写真集」など4点、優秀賞10人にデジタル時計「時の鐘マルチクロック」など2点を副賞として贈る。

2009年8月13日木曜日

所沢市お寺マップ

所沢市お寺マップ

お笑いでまちおこし 鶴ケ島市で10月

 2009年8月13日(木) 埼玉新聞を抜粋編集

 漫才やコントなどお笑いが人気を集める中、プロやアマチュアを問わず優勝すれば100万円が獲得できるお笑い選手権「G-1グランプリinつるがしま2009」が10月25日、鶴ケ島市で開催される。お笑いでまちおこしをしようと、市内のNPO法人が発案。これを自治体がバックアップし、官民一体となった実行委員会を結成、準備を進めている。コンセプトは「しんみりしてても仕方ない。笑いで健康増進と誇りの持てる街づくり」。吉本興業のM-1グランプリは有名だが、地方が主催するお笑い選手権は珍しいという。

 G-1グランプリは31日まで出演者を全国から募集、ビデオ審査で40組に絞り込む。9月19日、市女性センターで第1次審査を実施。通過した20組が10月25日に市運動公園特設会場で開かれる最終予選に出場。決勝戦で5組から優勝者が選ばれる。

 出場者1組の持ち時間は1次審査が2分、最終予選は3分、決勝は5分。決勝戦に残った出場者は作品のネタの中に「鶴ケ島」のことを入れるのが条件。決勝戦では同市出身のロックバンド「鶴」やコントグループ「ハッピーエンド」のメンバーが特別審査員として参加する。

 きっかけは、市が導入した企画提案型協働事業制度。昨年9月、市民からアイデアを募集したところ、6団体が10事業を提案。この中から、市はNPO法人「市学童保育の会」から提案された同グランプリやパソコン講習会、市民が講師になる市民講座など5事業を採用した。

 同保育の会は「文化事業として20年前から落語家やマジシャン、音楽家などを呼んで子どもたちに生の演芸を見せている。子どもたちの感動する姿を見ていて、こうしたものをより多くの市民と共有することがまちおこしの役に立つのではないかと思った」と理由を説明する。

 計画実現のため、同会と市は今年2月、市内のボランティア団体とともに実行委員会を結成。「イベントデザイン」と「進行管理」「営業」の3つのプロジェクトチームに分かれ、それぞれ検討に着手した。

 問い合わせは、実行委事務局の市市民協働推進課(TEL049・271・1111)へ。

2009年8月11日火曜日

2009年8月9日日曜日

避難のポイント 川越市 

避難のポイント川越市

3者協働でNPO支援 活動情報を発信 熊谷

 2009年8月8日(土) 埼玉新聞を抜粋編集
 
 県北部地域振興センターは、立正大学ボランティア活動推進センターと熊谷市の住宅販売・不動産業の大和屋との協働で、大里地域のNPO法人の活動情報を発信する取り組みを始めた。このほど、同市筑波のくまがや館で顔合わせ会が行われ、確認書を交わした。

 事業の対象となる熊谷、深谷、寄居の3市町には高齢者や障害者、子育てなどのNPOが88法人ある。その多くが活動資金や人材不足などの課題を抱えており、これらのNPOの情報を地域に発信することで、活動への市民の理解と参加を促進する。

 立正大の学生がNPOを訪ねて取材し、レポート記事を大和屋が運営するインターネットのコミュニティサイト「くまがやネット」に掲載。北部地域振興センターはこの記事を活用した「NPOニュース」を発行し、大里地域の百貨店やスーパー、公共施設などに掲示していく。

2009年8月8日土曜日

埼玉県ゆかりの偉人データベース

埼玉県ゆかりの偉人データベース埼玉県

秩父の文学碑1冊に 野口正士さん

 2009年8月7日(金) 埼玉新聞を抜粋編集
 
 秩父郡市の各地に点在する句碑や歌碑など紹介したガイドブック「ちゝぶ文学散歩」(B5判、238ページ)を、長瀞町在住の元秩父鉄道社員の野口正士さん(67)が自費出版した。野口さんは「文学碑に刻まれものは、まさに秩父賛歌であり、秩父の心のふるさとの歌だと思う」と話している。

 野口さんの趣味は写真。35年ほど前から、撮影の合間に出会う句碑や歌碑に関心を覚え、記録にとどめるようになった。15年ほど前から、「あまりにも多いのでライフワークにしよう」と本格的に調査を始め、5年前に150基の碑を紹介した「秩父の文学碑」を出版した。

 今回は、それを基に倍以上の322基の碑を訪ね歩き、新しい碑や建立場所、作者などの内容を加筆した。碑は秩父の文人のほか、松尾芭蕉、高浜虚子、若山牧水、前田夕暮、宮沢賢治、斉藤茂吉、金子兜太といった著名人や、昭和天皇など皇室関係者のものも多い。

 松尾芭蕉の句碑は秩父に14基あることを確認。そのうち7基は旧吉田町に集中している。下吉田の菊水寺(札所33番)の碑は県内最古の芭蕉句碑。句碑の建立にかかわった江戸時代の俳人・建部袋凉が、当時の和尚と親交が厚く、秩父に滞在した。野口さんは「このため吉田、小鹿野の俳句熱が高まり、俳句の遺物が多く残された」という。矢行地獅子舞の碑(秩父市山田)の取材では、現在の舞の名称「幣掛り」「花掛り」が、昔は「幣をり」「花をり」だったことが新たに分かった。

 定価2500円(送料160円)。問い合わせは、野口さん(0494・66・1232)。

2009年8月7日金曜日

蔵造りの町並み、歩行者天国の試み 川越

 2009年8月6日(木) 埼玉新聞を抜粋編集

 川越市は8月9日と23日、9月13日、27日のいずれも日曜日午前11時から午後5時まで、ドラマのロケでメインとなっている蔵造りの町並みを歩行者天国にすることを決めた。

 歩行者天国の実施区間は同県道の札の辻交差点(元町)から仲町交差点(仲町)までの約400メートル。幅員9~11メートル、片側1車線。車道の一部を歩道(幅1.5~2メートル)として活用しているものの、歩道から人が溢れ、車が渋滞するなど危険な状態が発生している。

2009年8月6日木曜日

全国からくり時計めぐり 川越のアトレ

全国からくり時計めぐり 川越のアトレ

川越撮り続けて30年 宗形慧さん

 2009年8月5日(水) 埼玉新聞を抜粋編集
 
 蔵造りの街をはじめ菓子屋横丁、川越まつりなどの風景や市民の素朴な暮らしを30年間、カメラに納めてきた川越市三光町、写真家宗形慧さん(62)の写真展「川越―まちの暮らしを撮り続けて三十年―」が同市元町の蘭山記念美術館で開かれている。宗形さんの地道な活動の結晶を多くの人に見てもらおうと、市民ら5人が実行委員会を結成、企画した。30日まで。

 展示されているのは、80年代と90年代に撮影したモノクロ写真約80点と最近10年間に撮影したカラー写真約10点。まつりや街並みを通して川越の変遷が分かり、街角の何気ない市民の姿が懐かしさを感じさせる。

 宗形さんは東京都出身。写真で自己表現しようと、大学を中退。著名な写真家が指導していた写真教室に通い、写真の哲学を学んだ。その後、フリーになり、北海道・夕張炭坑の閉山や津軽の風土などルポルタージュ写真を撮り続けた。

 79年に初めて川越まつりを見て、普段の川越の街の様子とのギャップに興味を持ち、川越の街の風景をや市民の暮らしぶり、民族芸能、風土などを撮り続けてきた。作品数は数え切れないほどで、既に7、8回の写真展を開催している。

 宗形さんは「NHKのテレビ小説『つばさ』などの影響で、川越の観光客はここ数年増えているが、いい加減な流れの中で物事が動いているような気がする。本質は身近な足元に隠れています。写真展でそれを感じてもらえれば」と話した。

2009年8月4日火曜日

空から見たときがわ町【写真】

空から見たときがわ町

かわごえ和スイーツコン:参加作品を募集 川越商議所

毎日新聞 2009年7月17日

川越商工会議所は「かわごえ 和スイーツ コンテスト」の参加作品を募集している。テーマは小江戸・川越にちなんだ「和」を取り入れた作品で、洋菓子でもいい。大の甘党で知られる芝田山親方(元横綱・大乃国)を審査委員長に招き、優秀作品は新たな特産品として商品化することも検討している。

川越を舞台にしたNHK朝の連続テレビ小説「つばさ」で、ヒロインの実家が和菓子屋「甘玉堂」との設定にちなみ、コンテストを企画した。書類による事前審査で8作品程度に絞り、10月11日の最終選考で実際に作ってもらった作品を芝田山親方らが試食してグランプリを決める。

表彰式は最終選考日の午後に同市新富町1の鏡山酒造跡地で行われ、「甘玉堂」の看板商品を再現して来場者にプレゼントする。芝田山親方のトークショーもある。

「伝統と新しさが共有する川越の町にふさわしい菓子を考えてほしい」と商工会議所。応募は8月末まで。問い合わせは商工会議所(電話049・229・1810)。

2009年7月31日金曜日

鷲宮のフェスに2500人集結

2009年7月20日(月) 埼玉新聞を抜粋編集

アニメや漫画のキャラクターへの愛情表現である「萌え」をテーマにしたイベント「萌フェス~あなたが痛いから」が18日、鷲宮町役場などで開かれた。キャラクターをあしらった「痛車」(いたしゃ)や「弁当」のコンテストなどが催され、会場は“萌え一色”に。集まったアニメファンら約2500人は「まるで秋葉原に来たみたい」などと話し、一味違った夏祭りを楽しんだ。

萌フェスは、人気アニメ「らき☆すた」を活用したまちおこしを進める鷲宮町と幸手市の両商工会が、オタク文化を通じて交流を深めようと、初めて企画。予想以上の来場があり好評だったことから、来年も開催する予定だ。

この日、最も盛り上がったのはアニメ関連のキャラクターやロゴなどのステッカーを張ったり、塗装した「痛車」のコンテスト。自転車、バイクを含む43台が参加し、自慢の愛車を披露した。「らき☆すた」をはじめとするキャラクターのステッカーを車体に張ったり、中には等身大の人形を乗せた本格的な車も。テレビ画面から飛び出した「走るアニメ」に、一般の来場者も興味深そうに見学していた。

両市町の飲食店8店が参加した萌えグルメコンテストでは、各店の創作弁当を人気イラストレーター西又葵さんによる「萌える掛け紙」で包装。見た目と味でいかに萌えるかを来場者に評価してもらった。このほか、キャラクターへの「愛」を大声で表現する「鷲宮の中心で萌えを叫ぶ」や萌え川柳・狂歌コンテスト、鷲宮○×クイズなどを実施。

また萌フェスに合わせ、「らき☆すた」を活用したまちおこしを研究する北海道大学観光学高等研究センターと両商工会が、オタク文化と観光をテーマにフォーラムを開催。18日は鷲宮町役場で、一般向けに鷲宮町の取り組みに関する報告や同センター長の石森秀三教授による講演を行った。19日は鷲宮町商工会に会場を移し、地元商店や国の新映像産業担当者らが集まり、今後のまちおこしの可能性について話し合った。

北村薫さん直木賞受賞 

2009.7.16 産経新聞を抜粋編集

6度目の候補で直木賞を受賞した作家、北村薫さん(59)=埼玉県杉戸町=は、県立高校で国語の教師をしながら覆面作家としてデビューしており、県内には縁の深い人が多い。受賞から一夜明けた16日、関係者からは祝福の声が挙がった。

北村さんは県立春日部高校を卒業し、早大に進学。卒業後、県立杉戸農業高校と母校の春日部高校で教壇に立った。

県立高校で国語を教える北村さんの妻(55)は「認めて頂き本当にうれしい。受賞まで長かったので、ほっとしたのとよかったという思い」と心境を語った。

家での北村さんは「ごく普通のどこにでもいるお父さん」といい、「忙しくなると思うけど、自分のペースを守って皆さんに読んでもらえる作品を発表して」と夫にエールを送った。

春日部高校で北村さんに国語を教わったという同校英語教諭の島根輝人さん(44)は「北村先生の授業は明るく楽しい雰囲気。生徒が主体的に取り組める授業だった」と振り返る。

印象深かったのは、「詩や小説を読んで感じたことを言うと、北村先生は『いい答えだね』と、生徒の発言の良い部分を尊重してくれた」ことだという。

北村さんと同時期に春日部高校で体育を教えていた同校同窓会事務局長の戸井田哲さん(62)は「北村さんは物静かな感じだが、授業では声が大きく、飾らない感じで生徒から慕われていた」と話し、「110周年の春日部高校の歴史に残る名誉なこと」と笑顔をみせた。

杉戸町では名誉町民の贈呈を検討。同町住民参加推進課の小沼幸雄さん(45)は「古利根川の風景の描写など、地元の人は親しみを持って面白く読んでいます」と話していた。

2009年7月26日日曜日

川越出身の小村雪岱「日本橋の情景」など公開

2009年7月19日(日) 埼玉新聞を抜粋編集

川越市出身の日本画家・小村雪岱(せったい)=1887~1940年=の作品「雪の朝」を県が購入し、25日から県立近代美術館(さいたま市浦和区)で始まる特別展で公開する。

「雪の朝」は季節を主題とした画伯の「日本橋の情景3部作」の一つとされ、ほかの2作品「青柳」と「落葉」は県が既に所蔵している。県教育局によると、3部作がそろって同美術館で公開されるのは25年ぶりという。

小村画伯は東京美術学校(現東京芸大)で日本画を学び、作家の泉鏡花との出会いをきっかけに本の装丁や新聞の挿絵、歌舞伎の舞台装置の作成といった幅広い分野で活躍した。主に大衆文化の最前線で才能を発揮したが、日本画の肉質画は20点ほどしか残っていないという。

「雪の朝」(42×29センチ)は“雪岱調”と呼ばれる洗練された描線や光と闇を描き分ける繊細な色彩感覚が浮き出た作品。

県は画伯と親交のあった女性の遺族(東京都在住)から4月に150万円で購入した。作風や表装が同じ「青柳」(45×35㌢)「落葉」(同)とともに1924(大正13)年ごろに創作されたとされる。3部作を見比べることで、移り行く季節の情景や大正期の趣が楽しめる。

川越市が高齢者虐待対応マニュアル作成

2009.7.17 産経新聞を抜粋編集

埼玉県川越市富士見で5月、認知症の高齢女性が息子に虐待され、息子は傷害の罪で起訴、女性は間もなく死亡した事件を受け、市が強制的に屋内に立ち入ることを盛り込んだ虐待対応マニュアルを作成したことが17日、関係者への取材で分かった。ただ、立ち入りできる場合の具体例は示されておらず、高齢者宅を実際に訪問する現場職員らからは「不十分」との声が挙がっている。

起訴状によると、畔柳裕被告(47)は5月6日ごろ、自宅で認知症の実母、伸さん=当時(74)=をけり肋骨(ろつこつ)を折ったなどされる。

市は、伸さんが虐待されている可能性があるとの通報を受け、畔柳被告宅を2度訪問。しかし、畔柳被告に「個人的な部分に入ると訴えるぞ」と言われ、屋内にいた伸さんに会うことを拒否されていた。

「屋内に立ち入っていれば、悲劇は防げたかもしれない」との声が挙がり、市は事件後約1カ月でマニュアルを作成した。

マニュアルでは、屋内に立ち入ることができる場合を、「最終的に高齢者を救出しなければならないとき」などとしている。市は「立ち入りについて明記した意義は大きい」と話す。

しかし、マニュアルは、訪問を拒否されてから立ち入りを実施するまでの具体的な対応が十分に記されていない。また、現場職員は「虐待が確実にあると言い切れないときは、どうすればいいのか」と困惑を隠さない。

2009年7月18日土曜日

飯能市お寺マップ

飯能市お寺マップ

かりんとうかんで健康  葉酸入り 坂戸市と歯科医らが開発

2009年7月14日 読売新聞を抜粋編集

 食を通じた健康作りを支えようと、坂戸市と歯科医師らによる市民団体が、認知症などの予防に効くとされる「葉酸」を加えたかりんとうを開発した。名付けて「さかど葉酸 かムりんとう」。市役所などで1袋100円(45グラム入り)で販売中。「かむ」をテーマに、虫歯菌を減らすキシリトールを使うなど、歯の健康にも気を配ったお菓子だ。

 市では2006年から葉酸の摂取を促す「葉酸プロジェクト」を展開し、大学や食品会社と協力して葉酸入りのパンなどを製品化してきた。今回は、葉酸を使い、歯も丈夫にする食品はないかと考えた末、「かまないと食べられない、かりんとう」に注目。08年5月から開発を進めてきた。

 完成した「かムりんとう」は、坂戸市産の小麦にキシリトールを加え、控えめな甘さと、かりかりとした食感が特徴。1袋で、厚生労働省が勧める成人1日当たりの葉酸摂取量(240マイクロ・グラム)の約4分の1を取ることができる。製造・販売は、市内の障害者就労支援施設「こすもす作業所」(坂戸市東坂戸)に依頼した。

 商品の開発にかかわった明海大歯学部の清水良昭准教授は「一般に良くかむことは認知症や虫歯の予防、ダイエットにつながる。かムりんとうは、かむのに適した食品で体にも良いが、あくまでお菓子なので食べ過ぎには注意」と話している。

 昼休み中の市役所や、こすもす作業所の併設店舗で販売している。問い合わせは、同作業所(049・277・8605)。

2009年7月13日月曜日

中心市街地活性化基本計画 川越市が県内初の認定

2009年7月3日 東京新聞を抜粋編集

 川越市の中心市街地活性化基本計画が国に認定された。同計画は中心市街地の活性化に関する法律に基づくもので、認定されると国の財政支援を受けることができる。市は計画に沿って、川越城跡や時の鐘などの観光拠点を生かしたまちづくりを進める。

 県内で中心市街地活性化基本計画が認定されたのは同市が初めて。計画期間の二〇一三年度までに、約二百六十五ヘクタールの対象区域で、川越城中ノ門堀跡整備や鏡山酒造跡地の本格活用など六十八事業を展開。歩行者・自転車の通行量を5~15%程度増加させることや、半日以上中心市街地に滞在する観光客の割合の10%増を目指す。

 市中心市街地活性化推進室は「まちの回遊性を高め、にぎわい創出を目指す」としている。 

脇知弘さん「観光グルメ大使」に任命 川越市

 2009年7月13日(月) 埼玉新聞を抜粋編集

 川越を舞台にしたNHK朝の連続テレビ小説「つばさ」に出演中の俳優脇知弘さんを川越市が「小江戸川越観光グルメ大使」に任命した。同市は観光親善大使を12人任命しているが、観光グルメ大使の任命は初めて。

 脇さんは「つばさ」の中で、ラジオぽてとの一員「ロナウ二郎」としてグルメリポートを担当しているほか、今年6月からNHKさいたま放送局のホームページにグルメブログ「ロナウ二郎の川越・埼玉いただきます」を掲載しており、川越の食文化を紹介している。

2009年7月9日木曜日

寄居町・小川町合同スタンプラリー

2009 年 6 月 25 日  埼玉新聞を抜粋編集

 寄居町と小川町と言えば、HONDAの新工場誘致に成功した2町という共通点がある。小川工場は2009年4月の建設が始まっているものの、寄居工場は金融危機による先行き不透明感から当初2010年の稼働予定が2012年以降への延期と決まっている。
 
 そんな中、寄居町と小川町が2町合同によるスタンプラリーを企画・実施する。地域の活性化に加え、HONDA新工場の歓迎を目的にしたものだ。2町の商店街はもちろん小規模事業者や大型店、消費者含め全体を巻き込むイベント性を全面に打ち出し、歓迎ムードを高めることが狙いだ。
 2市町村合同によるスタンプラリーは、「県内でも貴重な先進事例」(埼玉県商業支援課)という。最悪期は脱したという景気底打ち説もあるが、地方経済の実態は非常に厳しい状況にある中、地域に明るい話題を提供するイベントと期待されている。

 開催期間は7月1日から8月31日まで。両町内の参加店91店舗でお買い物やお食事をされた人が対象だ。スタンプ台紙付きのパンフレットは6月30日から配布される。希望者は両商工会まで。

2009年7月6日月曜日

埼玉県と楽天が物産や観光で連携

埼玉県と楽天が物産や観光で連携
2009.7.3 産経新聞を抜粋編集

 埼玉県は3日、日本最大のインターネットショッピングモールなどを運営する「楽天」(東京都品川区)と物産のPRや観光振興などで連携する協定を結んだ。協定により、楽天は県の特定イベント参加者にモールで使える500円分のポイントをプレゼントするサービスを始める。楽天が都道府県とポイント配布で連携するのは初めてだという。

 埼玉県の上田清司知事と楽天の三木谷浩史会長兼社長は3日、都内のホテルで協定調印式を行い、がっちりと握手を交わした。

 調印後、三木谷社長は「データを持つことが楽天の強み。データを活用して県と一緒に戦略を立てられれば」と連携に期待を寄せた。

 県によると、今回の連携は楽天側から持ちかけられた。楽天には、自社が運営する日本各地の特産品を紹介するウェブサイト「まち楽」の埼玉県コーナーを充実させたいとの思惑があったという。

 県にとっても、会員約5300万人を擁する楽天との連携は、幅広い層に県をPRする場を広げることができるというメリットがあり、協定の締結となった。締結とともに3日から、まち楽で上田知事のメッセージなどが掲載された。

 また、ポイントプレゼントで、楽天は「新規の会員獲得が見込める」としている。

 ポイントがもらえるイベントは、11日~9月13日実施の県内伝統産業体験工房など89カ所をめぐる「県ものづくりスタンプラリー」。各所に置かれた県のマスコット「コバトン」のイラストに付いた携帯電話QRコード5種類を集めることが条件になる。

 上田知事は「県のネットの利用人口は全国3位。アニメの聖地もありB級グルメも盛んだ。いろんな部分で連携できるアイデアがあると思う」と話している。

2009年7月4日土曜日

うちわ作り:越生の伝統

6月25日1日 毎日新聞を抜粋編集

 明治時代から続く店の5代目・島野博行さん(58)と妻の邦子さん(58)が二人三脚で年間2000本を作り上げる。
 越生うちわは扇部の下、「肩骨」部が柄に対して一直線に交わることから「一文字団扇(うちわ)」とも呼ばれる。節と節が長く骨組みが作りやすい地元の真竹を用い、強い張りで編むため、扇風が強く、使い込むほど味がでる。価格は1000円から。問い合わせは同店049・292・2273。

2009年7月2日木曜日

災害時、バスが一時避難所に 川越

6月12日 産経新聞を抜粋編集

 川越市と、県西部の観光バス会社など20社が加盟する「県バス協会西部地区部会」は、災害時に各社が保有するバスを活用する協定に調印した。西部地区部会によると、県内では飯能市に続いて2例目。

 大型バス209台、中型101台、小型127台が、地震や水害などの時に提供される。西部地区部会からの申し出により締結された。

 市によると、バスは高齢者や障害者ら自力での避難が難しい被災者の輸送や、一時的な避難所として使われる。バスの冷暖房で寒暖を防げるほか、トイレが設置されているものもあり、市の危機対応能力が向上すると期待される。

2009年6月30日火曜日

東松山市お寺マップ

東松山市お寺マップ

川越に自転車専用通行帯 県内設置は23年ぶり

 2009年6月29日(月)埼玉新聞を抜粋編集

 県警と川越市が今年3月、川越市郭町の市道0001号線に「自転車専用通行帯」を設置した。この市道は蔵造りで有名な「一番街」への通り道として利用されることが多い。車道両側の幅50センチの路側帯を自転車と歩行者が混在して通行していたため、地域住民からは「危ない」との声が上がっていた。同通行帯が設置されたことで、周辺住民から「安全、快適に通行できる」と好評だ。1986年7月に川越市に設置されて以来、県内では23年ぶりに誕生した。

 同市道について、市と協議を進めてきた自治会長の男性(64)は「当初、市は『ゼブラゾーンを設置する』と計画していたが、自転車専用の通行帯の方が良いと提案した。これから夏祭りの時期なので、通行量も増える」と利用者増を見込んでいる。

 県内で自転車専用通行帯が設置されているのは、川越市脇田本町の赤心堂病院前、入間市藤沢の団地内、滑川町山田の武蔵丘森林公園内の3カ所。

2009年6月16日火曜日

川越藩

川越藩ウィキペディア
川越藩Y!百科
川越藩川越原人のホームページ

2009年6月15日月曜日

河越茶:川越の豪族館跡、茶の栽培進む

6月12日 毎日新聞を抜粋編集

 鎌倉幕府の有力御家人だった河越氏が築いた川越市の館跡(国指定史跡)で、茶の植栽が進められている。一帯は中世、狭山茶の源といわれる「河越茶」の産地とされ、館跡から茶道具も出土し居住の武士らが茶を喫していたとみられる。市は史跡公園の整備を機に、館の歴史と合わせ、かつて全国に聞こえた河越茶をPRする。

 茶は平安時代初期に唐から伝わり、鎌倉時代には武士にも喫茶の習慣が広がったとされる。南北朝時代の正平元(1346)年ごろの書物「異制庭訓(ていきん)往来」で、館跡の一帯とみられる武蔵河越の地が、京都栂尾(とがのお)などに次ぐ全国の銘茶5場の一つに紹介された。

 市文化財保護課によると、植える茶は5種類。川越市内の農家で代々栽培されてきた在来種▽現在の全国的な茶の代表種「やぶきた」▽その改良種「さやまかおり」の3種類計1090株を今年3月、11月にオープン予定の館跡1期整備地(約1・3ヘクタール)の一角に花壇状などに植えた。

 さらに、国内の茶の発祥地とされる栂尾山高山寺(京都市)と日吉大社(大津市)から種を譲り受け、2年後の移植を目指しプランターで育てている。

 河越氏は平安時代末期~室町時代に館を構え、その後は関東管領の上杉氏が陣所を構えた。いずれも室町時代のものとみられる天目茶わんやお茶をたてる湯を沸かす「風炉(ふろ)」、茶うすが出土。上杉氏が所持した可能性が高いが、文化財保護課は「河越氏の時代には既に、武士や歌会などで訪れた僧らが喫茶していた可能性が強い」と推測する。

 市は、館跡で茶摘みや喫茶を楽しむイベントを行い、シンボルツリーとなる茶の大木を植えることなどを検討する予定。

2009年6月13日土曜日

川合善明市長:目指すは、「住みやすい、住んで良かった川越」

2009 年 6 月 5 日、クオリティ埼玉を抜粋編集

 NHK連続テレビ小説「つばさ」の舞台地となり、いっそう賑わいが増した感のある川越市。2009年2月新たに就任した川合善明市長に、川越市のまちづくりについて話を聞いた。

 「川越市のまちづくりの理想像は、抽象的になりますが、“住みやすい、住んで良かった川越”です。歴史と伝統を重んじた品格を感じさせ、なおかつ、若者にとっても魅力あふれるまちというイメージですね」

 JR川越駅前のクレアモールから大正浪漫夢通り、蔵造りの町並みと続く約2.5kmの商店街は日本一の長さとも言われ、平成~昭和~大正~明治~江戸とそれぞれの時代を映した町並みが魅力だ。平日にもかかわらず、若者から高齢者まで実に見事な賑わいぶりを示している。
 
鏡山酒造跡地の活用kura
 そんな中心市街地に5月2日、新たな“顔”が誕生した。本川越駅から約150m、クレアモールと大正浪漫夢通り、蔵造りの町並み双方への起点に位置する鏡山酒造跡地の暫定活用が始まっている。
 明治、大正、昭和の各時代の酒蔵が残る鏡山酒造は2000年に廃業。現在、川越市では2010年秋を目処に地域の食文化や特産物の提供、観光情報発信などを行う施設整備事業の準備を進めているところだ。すでに改修工事は終わっているが、現在は具体的に何をやるのか構想を練っている段階。指定管理者制度を活用し、民間の活力を注入する予定という。

 「本格オープンはもう少し先になるが、“つばさ”効果を利用し、いっそうの観光客誘致を目指すとともに、訪れた人々への観光情報発信拠点として、2010年3月末まで暫定活用することとなりました」

 ちなみに埼玉りそな財団の試算によると、9月26日までの放映期間中、市内観光客は250万人増加するという。
 暫定活用では川越市観光案内所、埼玉県物産観光館川越店、小江戸川越伊佐沼農産物直売所、新富チャレンジショップ、イベントスペースに加え、現在「つばさ」展が開かれ、スタジオセットのレプリカやパネル、メイキング映像などを楽しむことができる。
 
 「今から約40年ほど前、私の高校時代、蔵造りの町並みや菓子屋横丁は寂れていました。地元の人々による“川越蔵の会”の地道な活動などが実ったことと、1990年のNHK大河ドラマ「春日局」により観光客が急増したのです」

選択と集中で、徹底した行財政改革
 まちづくりの課題はどうだろうか。
 「就任して分かったことですが、川越市は想像以上に良くない財政状況です。行財政改革は必ず成し遂げねばなりません。一つ一つの事業を見直し、不要な事業は廃止し、本当に必要なところへ重点配分するつもりです」

 選択と集中が緊急課題となっている。すでに、市立大学開学計画は白紙撤回とした。市内には私立大が4校あり、少子化の時代にあえて民間と競争する必要性は低いと判断したからだ。

 「事業の見直しの判断基準となるのは、次世代を担う子どもたちに関わる事業や多数の市民に関わる事業を優先的に実施したいと考えています」

 徹底した行財政改革を進めるため、中期財政計画を策定することになる。その第一段階として市長・副市長の給料引き下げや市の組織改正を実施するという。すでに4月の組織改正では、新斎場建設、中高一貫教育、地域緊急経済対策に関する部署を新設した。
 
 
川越駅西口に拠点施設
 今後の重点施策についてポイントを整理してみよう。「判断基準の一つは、次世代を担う子どもたちに関わる事業」と言うように、子育て支援策として、6月補正予算に待機児童の解消を目指し、保育所整備基金を提案する予定だ。また、現在ほぼ6割ほど進んでいる小中学校の耐震化完了計画を 2015年度から2012年度に前倒した。

 さらに、川越駅西口の拠点施設整備事業が本格化する。県と川越市の共同事業で、「西部地域振興ふれあい拠点施設(仮)」だ。県地方庁舎・産業支援施設・大学コンソーシアムなど県の産業支援・人材育成施設と、市民活動支援センター・ホールなど市の施設、そして民間によるにぎわい施設などが主な内容となる。今年度は事業者の選定や設計が行われる。
 

まちづくりは住民参加&ロングスパンで
 最後にまちづくりについての考え方を伺った。
 「長期間にわたる市民活動が突破口となり、蔵造り周辺の地域が活性化したことからも分かるように、良いまちづくりをするには、思い切って20~30年というロングスパンで考えることが必要ではないでしょうか。ビジョンのない開発は避けるべきです。中心市街地の周辺・郊外地域のまちづくりについても、住民参加によって各エリアに合ったまちづくりを長期計画で進めていきたいですね」

2009年6月10日水曜日

「東海道線を川越へ」という運動、川越

2013年には、東海道線が上野まで伸びます。
この線の一部を、大宮ー川越まで引き込もう、という運動があります。

東北縦貫線 【画像】
東北縦貫線計画


新宿経由も?【画像】

2009年6月9日火曜日

川越の「蔵造りの町並み」 「歩行危険」77%  ホコ天66%賛成

2009年6月5日 読売新聞を抜粋編集

 観光客らによる車の往来が激しい川越市の「蔵造りの町並み」の周辺住民を対象に、市と埼玉大学が共同でアンケートを実施したところ、約8割が危険だと感じ、約7割が歩行者天国の導入を望んでいることがわかった。結果を踏まえ、市は今秋、一方通行や歩行者天国を取り入れた交通社会実験を実施する。

 同市仲町~札の辻(元町)まで南北約400メートルの「蔵造りの町並み(一番街)」には、江戸、明治期から続く蔵造りの商家や時の鐘があり、観光客の人気スポットになっている。週末には車がどっと押し寄せ、一番街や周辺の道路は交通渋滞に見舞われる。

 アンケートは今年2~3月、一番街の周辺住民6077世帯を対象に行い、2338世帯(38・5%)が回答した。その結果、車の往来が激しく、歩行者にとって「危険」「やや危険」と感じる人は計76・8%、歩いての横断が「しにくい」「ややしにくい」との回答も計73・1%に上った。

 打開策として最も賛成が多かったのは「休日のみ日中を歩行者天国にする」で、「賛成」「条件付き賛成」が計66・3%を占めた。条件は「周辺道路が混雑しないこと」「バス停を便利な場所に移すこと」など。

 また、一番街を訪れた観光客へのアンケート(昨年11月実施、有効回答271人)では、「休日のみ日中を歩行者天国にする」(賛成55・4%)、「平日は終日一方通行。休日はこれに加え日中を歩行者天国にする」(同32・1%)など改善を望む声が目立った。

 これらの結果を踏まえ、市は今年11月、一番街で交通社会実験を実施。北から南への一方通行を終日行うほか、土日祝日はさらに午前10時~午後4時に歩行者天国を取り入れる。

2009年6月8日月曜日

16市町村が作成未定 地震ハザードマップ

 2009年6月7日(日)埼玉新聞を抜粋編集
 
 地震が発生した場合に備え、危険地域や被害状況などを予測して被害の低減につなげる「地震ハザードマップ」について、16の県内市町村が作成時期を未定としていることが、県のまとめで分かった。

 マップは2006年に改正された地震対策特別措置法に基づき、市町村ごとに作成が求められている。県が独自に行った「地震被害想定調査」を基に昨年度までに50自治体が作成を済ませ、ほか4自治体が11年度までの作成を目指している。

 だが「洪水ハザードマップ」(県内55市町が対象)は、本年度末までに対象の全市町が作り終えるのに比べ、地震マップは16の自治体が完成時期をいまだ決めていない。

 法律で作成を義務化された洪水用に対し、地震用は努力目標となっていることが要因として挙げられる。

 所沢市は「避難場所となる公共施設の耐震強化を進めている段階で、それを踏まえてしっかりしたマップを作りたい。市民に有効活用してもらうことが大切で、地震だけでなく洪水なども入った総合的なマップとしたい」と遅れている理由を説明した。

 危険区域を公表するハザードマップは迅速な避難誘導などの観点から10年ほど前から必要性が指摘され、当初は「住民の不安をあおる恐れがある」「地価が下がる」「マンションが売れなくなる」といった意見もあった。しかし危機管理意識の高まりを受け、今は「何かあった場合に予測される危険度を、事前に住民に伝えない方が問題」とする考え方が主流だ。

2009年6月7日日曜日

川越きもの散歩

川越きもの散歩 (かわごえきものさんぽ) Yahoo!新語より
-カルチャー&エンタテインメント -2009年5月28日

埼玉県川越市の着物好き市民による市民サークル。毎月28日の午前11時に成田山川越別院にお気に入りの着物を着用して集合し、境内で開かれる骨董市に並ぶ古着の着物などを見て回った後、蔵造りの商家が軒を並べている一番街商店街までの約1キロメートルを歩くのがサークルの活動。主宰しているのは市内でタウン誌を発行している「川越むかし工房」で、代表者の藤井美登利は「江戸情緒が残る川越は着物姿が似合う街。街の景観に彩りを添えることができればと思って始めた」と動機を語っている。会員は現在約20人で、20~50代まで年齢はさまざま。親子そろって着物で街中を歩くイベントなどを予定している。

2009年6月6日土曜日

「町の花」ハナショウブ咲き誇る 川島町

2009.6.5産経新聞を抜粋編集

 埼玉県川島町下八ツ林の「平成の森公園」で、町のシンボルでもあるハナショウブが見ごろを迎えている。ショウブ園では、紫や黄、白など色鮮やかなハナショウブが咲き誇り、来場者の目を楽しませている。

 川島町は昭和59年、町の合併30周年を記念して、ハナショウブを町の花に指定した。ショウブ園には約2600株のハナショウブが植えられ、同町は「ハナショウブに囲まれた中を、歩いて散策できます」とアピールしている。

2009年6月4日木曜日

バーベキューつけ麺で栄冠 見沼区のラーメン店

 2009年6月3日(水)埼玉新聞を抜粋編集

 全国の有名ラーメン店を一堂に集めた初めてのイベント「ラーメンShow in Tokyo 2009」(主催・日本ラーメン協会、千葉憲二理事長)内で行われたコンテストで、さいたま市見沼区蓮沼、「俺達の麺style BooBooKing」店長の長谷川瞬さん(23)が第1回優勝者に輝いた。

 イベントは、東京都世田谷区、駒沢オリンピック公園で5月末に3日間にわたり開催。全国のご当地ラーメンをはじめ、首都圏の人気店によるコラボラーメンなど、ここでしか食べられないラーメンが25ブース出そろった。

 優勝した長谷川さんのメニューは「バーベキューつけ麺」。味付け豚バラ肉のスライスが丼を覆うように載せられ、中央に卵の黄みが落とされた逸品。具とめんをバーベキュー味の豚骨スープに付けて食べる。長谷川さんは「信じられない。若手の代表としてみんなを元気づけたい」と喜んでいた。3組の中には同市大宮区、「らぅ麺ガラ喰楽学校」店長の佐藤亘さん(35)も勝ち残った。

三つの工業団体が統合し「入間市工業会」が発足

2009年06月03日 日刊工業新聞を抜粋編集

入間市にある三つの工業団体が統合し、5日に「入間市工業会」(仮称)が発足する。各団体では研修や講演会など会員企業の発展・交流を目的とした事業を行ってきたが、重複して入会している企業も多かった。会員企業数が82社となる新団体では、スケールメリットを生かした事業を展開するほか、企業同士の情報交換を促進させ、ビジネスチャンスの創出を図る。
 統合するのは、同市内の大手企業を中心に構成する入間市工業会(杉山慎一郎会長=杉山チエン社長、会員企業数53社)、同市内の工業団地の立地企業から成る武蔵工業団地連絡会(会員企業数35社)と狭山台工業団地連絡会(同30社)。新団体の会長には杉山会長が就任予定。事務局は入間市環境経済部商工課に置く。

2009年6月1日月曜日

最先端の植物工場「野菜工房」 秩父で稼働

 2009年5月21日(木)埼玉新聞を抜粋編集

 今春、秩父市みどりが丘の工業団地で遊休工場を利用した「野菜工房」が稼働した。工房といっても野菜の加工品を作っているわけではない。実は野菜工場、本物のレタスを作る会社なのだ。植物工場は全国に50カ所ほどあるが、「低細菌」「低硝酸」を前面に出した工場はほかに例がないという。野菜工房を訪ねた。

 ■空き部屋が工場

 建物は2階建て。元は電子部品会社の工場だった。静かで人の気配もないので電話すると大山敏雄社長(59)が出てきた。1階の奥の空き部屋を借りている。大手食品会社で水耕栽培の研究をしていた大山社長と、地元出身で元大手商社員の周藤一之副社長(53)が中心になって設立した。

 植物工場は2月下旬から稼働。広さは約430平方メートル。床面積を有効に使うため三段式の平棚を採用。ここで種まきから、移植、収穫までを行っている。生産能力は1日900から千株、年間45トン。現在、役員を含め六人が従事、リーフレタス、フリルアイス、サラダ菜を栽培、出荷している。

 ■光源は蛍光灯

 工場は完全制御で太陽光を完全にシャットアウト、外気もフィルターを通したものしか入れない。光源は蛍光灯で1年を通じて20度から24度になるように管理している。水耕栽培で、栄養分は必要な時に必要なだけ、霧状にして供給する。

 栽培施設に虫が入ってこないので農薬を使う必要がない。また、食品工場の衛生概念を導入して低細菌を実現、洗わずに新鮮な野菜が食べられる。周藤副社長は「家庭でのおいしさもさることながら、業務用では無駄がなく、鮮度維持、コスト、労働時間の削減など大きなメリットがある」という。さらに、必要な栄養分だけを与えているため「低硝酸の野菜ができ、えぐ味がなく甘く、子どもも嫌がらずに食べられる」とか。

 ■30数日で収穫

 種をまいてから30数日で収穫できる。すでに秩父地域のホテル、百貨店、スーパー、レストランを中心に、深谷市や都内にも出荷している。ラベルには「A(洗わず)A(甘い)A(安心野菜)」の表示がされている。

 価格は露地ものより割高だが、周藤副社長は「年間を通して同じ価格、品質で天候不順による相場に左右されない。業務用の仕入れの35%から55%の野菜は商品にならないで捨てているが、うちの場合は95%使える。決して高いものではない」と話した。大山社長は「低細菌、低硝酸を前面に出した工場はほかに例をみないもの。設備のハードとしても、栽培方法のソフトとしても最先端のものと自負している」という。

2009年5月27日水曜日

自然、文化丸ごと活用 見沼田んぼ博物館構想

 2009年5月26日(火)埼玉新聞を抜粋編集

 首都圏近郊に広がる大規模な緑地空間、見沼田んぼ一帯を「見沼歴史・自然博物館(フィールド・ミュージアム)」に-という構想が、NPOや市民の手で進み始めている。見沼田んぼの環境資産を創造する会(村上明夫代表)がさいたま市内で開いた同構想に関する千葉大学名誉教授の田畑貞寿さんの市民講座には約 50人の市民が参加、熱心に耳を傾けた。

 面積約1260ヘクタールの見沼田んぼのフィールド・ミュージアム構想は、東京大学名誉教授の大田堯さんの提案で始まった。さまざまな分野で見沼田んぼとかかわってきた人たちの共感を呼び、同会によると、見沼田んぼ地域を“歴史・文化・環境資産地域”の観点から研究・学習する運動を発展させようという意識が広がっているという。

 田畑さんによると、フィールド・ミュージアムとは「建物の中の展示物を見るのではなく、地域に点在する自然、歴史文化、産業などを活用し、地域(フィールド)全体をミュージアム(博物館)としてとらえる考え方」。大学の研究機関や行政、NPOなどいろいろな団体と地域の人たちとの協働が必要という。

 活動によって地域の意識も変わった。田畑さんは「構想は皆さんが創り上げていくもの」と話した。

 講座では、都留文科大学の学長時代に20年間、フィールド・ミュージアムを手掛けた大田さんも発言。「フィールドは箱ではない。人間関係も自然とのかかわりも密度の濃いもので、セーフティーネットを形成、最終的に自分を知る場の一つとなることを期待したい」と語った。

2009年5月26日火曜日

さいたま市長に清水氏 民主支援で圧勝

 2009年5月25日(月)埼玉新聞を抜粋編集

 任期満了に伴うさいたま市長選は二十四日、投開票が行われ、新人で前県議の清水勇人氏(47)=民主県連支持=が、三選を目指した現職の相川宗一氏 (66)=自民県連、公明県本部推薦=らを破って初当選した。六人が立候補した混戦の中で、辞任した小沢一郎氏に代わり新代表となった鳩山由紀夫代表ら民主党の全面支援を受けた清水氏は「さいたま市からの政権交代を」と訴え、自民党本部や県連の支援を受けた相川氏や、多数の自民党代議士の応援を受けた前衆議院議員中森福代氏(59)らを振り切った。清水氏は全国十八政令市の中で二番目の若さ。

 清水氏は自民を離党後、渡辺喜美衆院議員の政策集団に加わって立候補。民主党の県連支持を得ると、枝野幸男衆院議員が選対本部長に就いて臨んだ。

 選挙戦は民主県連や同党市議団がフル回転した上、渡辺衆院議員や民主党幹部らが相次いで応援に入ってテコ入れ。告示翌日に同党の小沢一郎氏が代表を辞任し、代わった鳩山由紀夫新代表が応援に駆け付けて、浮動票獲得へアピールを強めた。

学生が花畑づくり 「研究」で農家と連携 坂戸市

 2009年5月25日(月)埼玉新聞を抜粋編集

 城西大学(坂戸市)が休耕田対策に悩む地元の農家らの呼び掛けに応じて、同大学生らが休耕田で花や野菜作りに取り組むプロジェクトを進めている。人手不足や高齢化などにより休耕田の荒地化に頭を抱える農家と、農作業を環境や社会学の研究の一環と捉える学校側がタイアップした。地元農家は「田んぼが荒れるよりは大学生の力を借りて、休耕田がお花畑に蘇れば地域の活性化にも繋がる」と効果に期待を寄せている。

 プロジェクトの対象となっているのは坂戸市四日市場と多和目にまたがる農家約50軒分の農地約10ヘクタール。協力しているのは、同大学現代政策学部の石井雅章講師(36)のゼミ(環境社会学)。

 農地の一部を所有する坂戸市の酪農業亀田康好さん(54)や石井講師の話によると、昨年秋に市職員を介して二人が知り合った際、亀田さんが年々休耕田が増えていることや人手不足が深刻化するなど農家の現状を説明したうえ、「学生たちの力を借りたい」と学校側に協力を求めた。

 プロジェクトがまず着手したのは農地の雑草対策。今年3月、約1ヘクタールの休耕田に、雑草を抑止するマメ科の牧草「ヘアリーベッチ」をまいた。そして、お花畑としての景観も良く、食用油や食用スナックにも活用できることから、ヒマワリの栽培を決定。5月12日、約1・2ヘクタールの休耕田に初めてヒマワリの種をまいた。

2009年5月22日金曜日

2009年5月16日土曜日

寄居「男衾(おぶすま)」の地名、後世に 道標設置へ

 2009年5月15日(金)埼玉新聞を抜粋編集

 古代から伝わる「男衾郡(おぶすまごおり)」の地名を後世に伝えていこうと、寄居町の男衾地区の住民たちが木製の道標設置の準備を進めている。労力と智恵、資金を出し合い、今秋にも地区内2カ所に建てる予定だ。

 男衾郡は古代の武蔵国に置かれた20郡の一つ。8郷からなり、武蔵国で一番大きい郡だった。奈良時代の平城京跡からも「男衾郡」の地名が書かれた木簡も出土している。その後、男衾村となったが、戦後に寄居町と合併。「男衾」の名は地名から消え、学校の名前や農協の支店などに使われるだけとなっている。

 この男衾の地にホンダが自動車工場を建設することになったのをきっかけに、この地名を訪れた人たちや若い町民に知ってもらおうと、家屋解体業の瀧澤登さんや会社員の権田孝史さんが中心となって「男衾郡地名保存有志会」を結成。道標を建てることになった。

 道標は2本で、ベイマツの丸太に「武蔵国 男衾郡」と彫る。高さはそれぞれ5メートル、太さは直径60センチほど。資金は寄付。会員たち約10人が、建築業や塗装業など家業の技術も生かして、手弁当で製作している。

2009年5月15日金曜日

ホルモン、豆腐、精肉店… 健闘する特徴店 小川

 2009年5月14日(木)埼玉新聞を抜粋編集

 小川町駅前通り、同駅から徒歩二分の太田ホルモン(太田末吉さん経営)。夜はひっそりとする同町だが、暗闇の中の灯台のようにその一角だけ明るくにぎわっている。うわさを聞きつけ訪れる客に大型連休も太田さんは大忙しだった。

 同じく駅前の有機・豆腐ドーナツなどの手づくり豆腐店「三代目清水屋」(清水洋治さん経営)、ウインナーなどにもこだわり、これを目当てに県外からもファンが足を運ぶコロッケ・ソーセージの精肉店、主人のあだ名がそのまま店名になった「アーチャンの店」(伊藤方久さん経営)、古き良き日本の伝統と小川町の田舎らしさを融合させた温泉施設「花和楽の湯」(新田悟詞さん経営)、小川町産の小麦粉を自家引きで粉にしている手打ちうどん「麺工房かたくり」(埼玉伝統工芸協会経営)など、町内の各店は、この大型連休は大忙しだった。

 その中のひとつ、太田ホルモンの営業時間は夕方の午後五時から十一時。東松山のヤキトリと比べるとこってり感はなく、さらさらとした「辛いタレ」が特徴だ。このタレに病み付きになるリピーターが多い。お店は「ワイザツでレトロな雰囲気」、千円札数枚でたっぷり食べて飲める店と評判を呼び、早めに場所を取らないと店内に入れない。混雑時は店の前でもビールを飲むお客も。

 特徴を伸ばし、良さをきちんと伝える努力をする。街の観光資源は、案外、身近にあるのかも。

2009年5月14日木曜日

埼玉県の地図



クリックで拡大。ちず丸を加工

『埼玉NPOつうしん』 Vol.38(20090401) 「武蔵観研」を紹介

【PDF】『埼玉NPOつうしん』 Vol.38(20090401) 「武蔵観研」を紹介

2009年5月13日水曜日

2009年5月5日火曜日

2009年5月4日月曜日

川越観光の問題点 埼玉県ユニバーサルデザイン

埼玉県 観光のユニバーサルデザイン埼玉県県民生活部文化振興課
ユニバーサルデザイン担当


喜多院
現状
●本殿階段のスロープは、車いす利用者には急勾配すぎる。
●案内板が小さく、マップも欲しい。
●車いす対応トイレがない。
●境内の地面、砂利がデコボコしてやや歩きづらい。
●雨の日には境内の電話ボックスの周囲が水びたしとなる。
●北側の坂道が水びたしとなる。
●駐車場に障害者用スペースがない。
●外部だけの観光は良いが、内部観覧などは障害者には大変。
●境内での休憩スペース、ベンチなどが少ない。
●本殿への階段に手すりがあるのはうれしい。
●拝観券売場の案内がわかりづらい。

改善案
●スロープの勾配、設置の再検討を。
●わかりやすい案内図と、点字案内/音声案内があると良い。
●車いす対応トイレの設置を。
●境内の土部分の整備が必要。
●境内道路の排水計画を考える。
●駐車場に障害者用スペースを確保する。
●内部観覧への障害者対応を考慮する。
●茶店付近でもこしかけなどは座りにくく、ひさしもないので、デザインを考える。
●石畳と土部分など段差解消を再検討。
●拝観券売場案内の明示を。

大正浪漫夢通り
現状
●大正のイメージが薄い。
●通りはUDになっていても、店舗内はUDになっていない。
●店先駐車があって、歩行しづらい。
●全体としてインパクトが希薄。

改善案
●各店舗の看板を右書きにするなど統一する。
●マーケット、軒先空間を作ってにぎわいを演出し、車の通行を抑える。
●通りも店内も、もっと大正の色を前面に打ち出す。
●曜日、時間帯による車の規制なども考慮する。
●近くの観光案内所のレイアウト、デザインを再検討。

蔵の町通り
現状
●交通量の多さが町歩き観光を妨げているのが気になる。
●歩道のアップダウンが多く勾配もあり、歩きづらい。
●段差がまだ多いので、散策しにくい。
●雨の日の水たまりが気になる。
●景観を考えたデザイン、色づかいなど工夫されていて良い。

改善案
●根本的な車対策が必要だと思う。
●立ち止まって蔵通りを眺めたりするスポットを作ったり、案内したら良い。
●パンフレットなど資料のサイズ統一や、各店等の更なる資料の充実を祈りたい。
●標識の適切な配置は好感がもてる。
●道路脇の排水をより整備する(グレーチングの採用)。
●店と道路の間をスロープに。


菓子屋横丁
現状
●全体としてよく整備されている。
●せっかくの店構えなのに、自動販売機が統一感をそこなっている。
改善案
●「多目的トイレ」という表示の仕方はとても良いと思う。
●英文パンフレットを完備したら良い。
●障害者無料などの案内を、受付やパンフレットに記載。
●絵文字による表示も良い。

まつり会館
現状
●最新施設だけにUDに配慮された設備が素晴らしい。
●階段を少なくし、手すりを広く設置してあるので歩きやすい。
●各セクションの自動扉にブース名が書いてあると良い。

改善案
●「多目的トイレ」という表示の仕方はとても良いと思う。
●英文パンフレットを完備したら良い。
●障害者無料などの案内を、受付やパンフレットに記載。
●絵文字による表示も良い。

その他
改善案
★全体として「生活・暮し」と「観光」の融和が課題である。

2009年5月3日日曜日

「つばさ」セット展示 鏡山酒造跡地を再利用 川越

 2009年5月2日(土)埼玉新聞
 
 明治から平成にかけて約百二十年間にわたり川越市内で酒造りに携わった旧鏡山酒造の建物を修復し、NHK朝の連続テレビ小説「つばさ」のスタジオセットを展示したり、川越をはじめ県内の土産品を一堂に集めたショップや観光案内所などを置いた「鏡山酒造跡地」(川越市新富町一丁目)が二日、暫定オープンする。

 廃業した鏡山酒造の跡地を市が購入。市内の観光スポットの一つとして活用事業を進めており、来年四月をめどに市から運営を委託された指定管理者が開業する予定。既に修復工事が完了したことから、市が来年三月まで暫定的にスペースを活用する。

 建物は木造平屋約千二百平方メートル。明治から昭和にかけての三時代に建てられた三つの蔵を活用し、明治蔵を観光物産スペースと位置付け、観光案内所と土産品ショップのほか、川越市内の地場産野菜を販売する「小江戸川越伊佐沼農産物直売所」などを開設。大正蔵は演劇や演奏などのイベントスペースとして提供する。昭和蔵では朝ドラ「つばさ」のスタジオセットのほか、プロモーションビデオを放映する。

 鏡山酒造は新潟県出身の竹内栄吉が一八七五(明治八)年に創業した。近江商人が製造販売していた清酒「鏡山」を引き継いで製造。この酒は一時、日本の航空会社のファーストクラスで振る舞われていたという。

 経営者が亡くなったため、二〇〇〇年に廃業。土地建物は不動産会社に売却され、マンションの建設計画が進んでいたが、「市内唯一の老舗酒蔵を保存活用してほしい」などと市民からの要望を受けて、市は翌年、約十億円で購入。歴史的な建物を活用した観光客の集まる飲食と物販のスポットにしようと、五億円を投入して建物を修復するなど事業計画を進めていた。

 同市は「鏡山酒造跡地は西武線本川越駅から近いので、観光めぐりのスタートポイントとしても利用できる。つばさのセットなど川越の歴史を生かした展示物をそろえたのでぜひ足を運んでほしい」と話している。

 入場無料。営業時間は午前九時から午後五時。ただし、明治蔵の施設は午前十時から営業し、毎週水曜日は休館。

 問い合わせは同市中心市街地活性化推進室(TEL049・224・5936)へ。

2009年4月30日木曜日

東京ディズニーリゾートと小江戸川越を直結バス 

TDR(東京ディズニーリゾート)と小江戸川越を直結する高速バスの共同運行がはじまりました。

【PDF】時刻表

2009年4月28日火曜日

「味噌付けまんじゅう」でB級グルメに初挑戦 飯能市観光協会

 2009年4月27日(月)埼玉新聞を抜粋編集
 
 飯能市観光協会は二十六日までに、五月三、四両日、さいたま市の大宮ソニックシティイベント広場などで行われる「第四回埼玉B級ご当地グルメ王決定戦」に初出場することを決めた。

 出場グルメは「味噌付けまんじゅう」。これは酒まんじゅうを串に刺し、軽く焼いたものに特性の甘い味噌だれを付けた、同市で古くから市民に愛され、食されている名物まんじゅう。

川越→板橋区 31キロを大名行列 川越の市民団体

 2009年4月27日(月)埼玉新聞を抜粋編集
 
 殿様や足軽などに扮(ふん)して、川越市から東京都板橋区までの川越街道約三十一キロを歩くイベント「大名行列」が二十六日、行われた。川越街道が通る自治体の相互交流を促進し、文化や観光事業に役立ててもらおうと、全国各地で火縄銃の発砲などの演武を披露している市民団体「川越藩火縄銃鉄砲隊保存会」(寺田勝広代表)が企画した。

 大名行列に参加したのは同会会員三十人。一行は午前六時、川越市小仙波町の東照宮を出発。初夏を思わせる暑さの中、殿様を中心に据え、前後に中間(ちゅうげん)と足軽各十人、侍八人、道中奉行一人が、やりや鉄砲、長持ちなどを持ち、道路左側を縦列行進した。

2009年4月25日土曜日

1万株の花らんまん 越生・五大尊 ツツジ見ごろ

 2009年4月24日(金)埼玉新聞を抜粋編集
 関東屈指のツツジの名所として名高い五大尊つつじ公園(越生町)のツツジが例年よりも早く見ごろを迎えている。

 白、ピンク、紫など彩り豊かな園内は、十数種類、1万株が咲き競う。丘の斜面に広がるツツジの大パノラマは圧巻だ。

 初夏の陽気に誘われハイキングを楽しむ行楽客を、ウグイスのさえずりが出迎えてくれる。

2009年4月24日金曜日

可憐なシャガ見ごろ ときがわ・慈光寺の参道

 2009年04月23日(木)埼玉新聞を抜粋編集

 ときがわ町西平の「慈光寺」までの参道二㌔の両端に群生する三十万本のシャガが可憐な花を咲かせ、訪れた人たちの目を楽しませている。
 慈光寺は千三百年の歴史を誇る関東屈指の古刹で坂東三十三カ所の九番札所としても知られる。
 シャガはアヤメ科の宿根草。別名「胡蝶(こちょう)花」とも呼ばれ、白色の花びらに紫の斑点があり、この中にも黄色い斑点が散らばっている。

 また、慈光寺から七、八百㍍上った霊山院では五十種百二十株のボタンの花が咲き始めた。五月四日午前九時から正午まで「ぼたんまつり」もある。

県産のらぼう菜でペペロンチーノ セブンーイレブンジャパンが商品化

 2009年04月23日(木)埼玉新聞を抜粋編集
 
 セブン―イレブン・ジャパンは、江戸時代から比企郡で生産されている伝統野菜「のらぼう菜」を使ったパスタを商品化、テスト販売として二十一日から一週間限定で、小川町と嵐山町の五店舗で、売り出している。

 地域・期間限定で売り出したのは「埼玉県産のらぼう菜のペペロンチーノ」(税込み四百三十円)。地元産ののらぼう菜を使いシャキシャキした食感を生かしベーコン、パプリカと組み合わせた彩りのよいパスタになっている。

 のらぼう菜は、秋に種をまき茎の出る三月から四月が旬。青菜の少ない時期の貴重な野菜として、限られた農家の食卓をにぎわす程度として二百四十年近く栽培が続けられた。天明・天保の飢饉で役立った野菜として有名になり、食糧事情の悪かった江戸時代は多くの家で栽培されていたという。江戸時代、年貢を逃れようとした農民が「野良にボーッと生えていて役にも立たない」と役人をごまかしたという伝説も残っている。

2009年4月22日水曜日

障害者の視点でバリアフリーマップ編集 行田

 2009年4月21日(火)埼玉新聞を抜粋編集
 
 かんたんな絵柄(アイコン)を使って施設ごとに身体障害者用トイレや授乳スペースの有無などを示した観光バリアフリーマップを行田市と市障害者小規模施設連絡会(矢吹博会長)が作成した。

 マップの名称は「行田たびくる」。地元産業を支えた足袋(たび)と旅を掛けているほか、車いすの車輪が市内をくるくる回る、そして行田に再び(ふた「たび」)来るの意味を込めている。

 マップ作成を提案した同連絡会は市内四つの障害者施設で構成する団体。昨年十月のバリアフリー調査を元に障害者らの視点で編集し、使い勝手の良い内容に仕上がっている。

 A5判サイズのマップは一部カラーの全二十ページ。「古代蓮の里」「さきたま古墳公園」「忍城址・水城公園」「街中・蔵」の四エリアと、その周辺を合わせた計五エリアで構成され、各スポットごとにアイコンを駆使して施設の利用状況を説明している。

 アイコンは「障害者専用駐車場」「スロープ」「出入口が自動ドア」「点字案内あり」「補助犬も入場可」「階段の左側に手すり」「手話通訳者がいる」「車いす貸し出しあり」など計二十三種類。

 マップは一万部作成。市福祉課窓口のほか、市内公共施設などで配布している。 

2009年4月20日月曜日

「第4回埼玉B級ご当地グルメ王決定戦&第1回埼玉県物産観光展~すごいぞ!うまいぞ!さいたマーケット」

2009 年 4 月 14 日クオリティ埼玉を抜粋編集

昨年11月に続き、早くも第4回埼玉B級ご当地グルメ王決定戦が5月3~4日(11:00~15:30)の2日間にわたって開催される。過去3大会のグルメ王である煮ぼうとう(深谷市)、豆腐ラーメン(さいたま市)、キューポラ定食(川口市)はもちろん、岩槻ねぎの塩焼きそば(さいたま市)、味噌付けまんじゅう(飯能市)、はたざくらカッピーコロッケ(志木市)といった初顔も参戦。県内各地から22グルメが競う。

 会場となるのは大宮ソニックシティ。会期はGWの2日間、さらに「第1回埼玉県物産観光展」と同時開催されることから、これまでにない盛り上がりが期待される。埼玉県のホームページを見ると、出場グルメが写真入りで紹介されているので、ぜひチェックを。「これははずせない!」と思わせてくれるB級グルメを見つけておいて、イベント当日は迷うことなく混雑をくぐり抜けるのが、いいかもしれない。
公式サイトは、http://www.sainokuni-kanko.jp/gourmet/gourmet1.html

2009年4月19日日曜日

お弁当に観光情報  県内のローソン 

2009年4月19日 読売新聞を抜粋編集

 コンビニエンスストア大手のローソンが県内全325店舗でゴールデンウイーク前後の4月24日と5月1日、同8日、県内の観光情報が載ったチラシの付いた弁当計3万2500個を売る。ローソンと県の共同事業で、県内観光地への誘導と弁当の販売促進を図る。

 チラシはA4判1枚で、4月24日は皆野町、5月1日は行田市と鷲宮町、同8日は川越市の観光情報が載る。

 地元の観光スポットに詳しい県職員が自らチラシを作ったため、「足湯を無料開放」「マイナスイオンを浴びられるハイキングコース」などと、穴場的スポットが紹介されている。

 弁当にはチラシのほか、県内の製材業者が寄付した県産木材で、さいたま桜高等学園の生徒が作った木札(縦5センチ、横2センチ)も景品として付く。このうち100本は、ローソンで使える500円分商品券の当たり札となっている。

2009年4月18日土曜日

2009年4月17日金曜日

原爆の悲惨さ伝えて 東松山・丸木美術館が42周年

 2009年4月16日(木)
 
 広島の原爆を描いた「原爆の図」を共同制作した水墨画家の丸木位里さんと、油彩画家の丸木俊さん夫妻が建てた東松山市下唐子の原爆の図丸木美術館が五月、四十二周年の開館記念日を迎える。美術館は存続の危機などもあったが、これらを乗り越え、今でも年間一万五千人が訪れている。同月五日にはイベントを実施する。

 四一年に結婚した二人は四五年、原爆が落とされると真っ先に広島へ。体験を多くの人に伝えようと四八年夏ごろから原爆の図を描き始めた。三十年かけて十五部を完成させた。それぞれのサイズは高さ一・八メートル、横七・二メートル。等身大から生々しさが伝わってくる。これまでに二十カ国以上の人たちに作品を通して悲惨さを語ってきた。

 生前の丸木夫妻は気さくに多くの人と接し、その人柄にひかれてやって来た人もいた。母屋には俊さんの姪で絵本作家の丸木ひさ子さん夫妻が暮らしている。

2009年4月16日木曜日

野菜ソース4種開発 川越の「ひびき」

 2009年4月15日(水)埼玉新聞を抜粋編集
 
 食品加工販売業「ひびき」(川越市)は、埼玉産のホウレンソウなどを使った四種類の野菜ソースを開発し、今月から販売を始めた。女子栄養大学(坂戸市)の卒業生で料理記者として知られる岸朝子さんらのアドバイスを受けて開発。「本物志向の主婦にも喜んでもらえるソースに仕上がった」という。

 新ソースの「ほうれん草しょうが風味」は生産量全国一位の埼玉産ホウレンソウを使用。さっぱり感で肉やサラダを引き立てるという。ホウレンソウは年間を通じて調達可能だが、ほかの「トマト辛みそ風味」「さつまいもカレー風味」「たまねぎ柚子風味」に使われるトマト、サツマイモ、タマネギは生産量に合わせて埼玉産を使用する。

 国が支援する「地域産業資源活用事業」として開発した。同社は東松山を中心に埼玉ブランド「彩の国黒豚」を使った焼きとりチェーンを展開。焼きとり向けに開発した「みそだれ」は、二〇〇八年の世界食品コンテスト「モンドセレクション」で最高金賞を受賞している。

2009年4月12日日曜日

ホンダ、小川新エンジン工場が今秋稼働

2009年4月10日

小川工場は、2009年秋に稼働開始を予定している。稼働当初は欧州向けディーゼルエンジン部品の塑加工を行う予定。

同工場は、高度な生産技術を必要とする次世代の環境エンジン生産拠点として、Hondaの先進生産技術を発信する場とする計画である。

幸手市に将門の首塚

将門の首塚

2009年4月9日木曜日

幸手に「らき☆すた」の部屋  

2009年4月4日 読売新聞を抜粋編集
 幸手市商工会は、地元が舞台の人気アニメ「らき☆すた」を地域おこしに役立てようと、原作者の美水(よしみず)かがみさん(31)が昨年まで暮らしていた市内の民家を登場人物の部屋などに改装、「美水かがみギャラリー幸手」として公開を始めた。

 主人公の部屋は、美水さんが漫画を描いていた仕事部屋で、主人公の制服や趣味のテレビゲームなどに加え、美水さんが使っていたイスなども配置。漫画の単行本や直筆の原画などの展示室や、訪れたファンが交流するコミュニティースペースも設けられている。

2009年4月7日火曜日

2009年4月3日金曜日

埼玉県環境白書』で知る「みどりと川の再生」

2009 年 1 月 13 日 クオリティ埼玉を抜粋編集

 埼玉県では、平地林がこの30 年間になんと約6500haも減少し、森林の荒廃も見られる。水源涵養や二酸化炭素の吸収など森林機能の低下も危ぶまれている。こうした中、2008年4月にスタートしたのが、「彩の国みどりの基金」。毎年の自動車税収入額の1.5%、自動車1台当たりにして500円ほどを積み立てて、財源に充てるという埼玉県独自の方式だ。2008年度は約14億円が集まったという。

 この基金を運用し、様々な事業を展開する。主な施策としては、1.水源地域の森の再生 2.県民参加による里山・平地林の再生 3.みどりの街なみの推進 4.身近な自然空間の保全 5.環境教育の場としての学校施設整備 6.みどりの埼玉づくり県民提案。

 一方、県土に占める河川の割合が3.9% と日本一を占める埼玉県。全国一の「川の国」ではあるが、急激に進む都市化の中で、河川を取り巻く水環境が問題となっている。こうした中、埼玉県は 2008年を「川の再生元年」と位置づけ、安らぎとにぎわいの創出、清流の復活という2本立てで川の再生に取組んでる。

 今後4年間に100カ所程度の水辺再生に取組む「水辺再生100プラン」、県内11の地域で展開される「里川づくり県民推進事業」、川に関する草の根活動の推進を目的とする「彩の国水すましクラブ」、水辺の里親制度、「埼玉の川・愛県債」といった事業を実施中だ。

 この「みどりと川の再生」を埼玉モデルとして全国に発進すべく、2008年には「みどりと川の再生埼玉フォーラム」を寄居(7/31)、飯能(10/25)の2度実施した。

2009年4月2日木曜日

越生梅+狭山茶  好調な売れ行きの狭山茶梅酒

2009年3月29日 読売新聞を抜粋編集

 毛呂山町の酒造会社「麻原酒造」が2月末に発売した「狭山茶梅酒」が人気を集めている。越生町の梅、狭山茶という県の名産物が融合した逸品は、発売2週間で約2000本が売れる好調ぶりだ。

 麻原酒造は1882年創業で、「琵琶のさゝ浪」などの清酒を製造している。約10年前から梅林で有名な隣町・越生町の梅を使った梅酒、地元名産のユズを使ったユズ酒など、様々な果実を使ったリキュールも手がけている。

 狭山茶梅酒は、関東三大梅林の一つ、越生梅林の梅を使った梅酒に日本三大銘茶の狭山茶をブレンドした。企画した坂元明弘課長(27)は、「地元名産品同士のブレンドでダントツ良いものを造りたかった」と話す。梅酒造りのノウハウはあるものの、茶葉との配合については3か月間、繰り返し。最終的に「当初の予定より茶葉の割合を少し多くして」(坂元さん)麻原健一社長のゴーサインが出たという。

 茶葉の粉末を取り除く作業を行い、茶飲料で使いがちな酸化防止剤(ビタミンC)は使わず、無着色無香料にこだわった。梅の酸味を抑え、狭山茶の香りを引き出した。女性層を意識したため、アルコール度数は7%と低めだが、「ストレートでも飲みやすい」と男性からも支持を集めている。

2009年4月1日水曜日

盛り上がる川越  「つばさ」スタート

 2009年3月31日(火)埼玉新聞を抜粋編集

 「川越の街並みがきれいに撮れていた」「今までにない新鮮さがあり、明るくテンポも良い」―。NHK朝の連続テレビ小説(朝ドラ)で通算八十作目にして初めて埼玉県が舞台となったドラマ「つばさ」の放映が三十日、スタートした。舞台の中心となる川越市で、初回を観賞した市民はドラマの内容や雰囲気に満足しており、評判は上々。放映終了直後、同市観光課にはドラマに関する問い合わせが十数件寄せられ、関心の高さもうかがわせた。

 第一回の放送が終わった直後、課の電話が鳴り、「老舗和菓子屋の『甘玉堂』はどこにあるのか」「番組で出ていたまんじゅうはどこで売っているのか」など市民から問い合わせがあったという。

 「甘玉堂」のロケ地となった陶器店「陶舗やまわ」の原知之社長(52)は「妻と母親の三人で見ました。NHKらしくない面白さがあり、その中に家族愛が含まれているという感じ。おいおい街中の風景が出てくれば川越の名所や特徴が分かるのでは」と今後の展開に期待を寄せた。

 また、駄菓子屋が軒を連ねる観光スポットの菓子屋横丁会の長井和男会長(69)は「ドラマの中で川越という言葉が出るだけでも最高ですね。内容はテンポもあり、明るくいい感じ。蔵造りが続く町並みも写されており、期待できますね」と目を細めていた。

2009年3月27日金曜日

稼働は2012年以降 ホンダ寄居新工場、再び延期

 2009年3月27日(金)埼玉新聞を抜粋編集

 ホンダ(本社・東京都港区)は二十六日、寄居町に建設中の四輪車新工場の稼働時期を二〇一二年以降に延期すると発表した。昨年秋以降の世界的な自動車市場の落ち込みを受け、昨年末には計画当初の稼働時期(一〇年)を一年以上延期することを決めていた。その後も回復の兆しが見えず、スタートは実質的に二年以上ずれ込む格好だ。地域経済の活性化を見据える県や町、関連業界には再度の延期決定に落胆や当惑が広がっている。

 小川町に建設中のエンジン工場は、当初の予定通り今年九月中旬から稼働を開始。エンジン部品を国内外の工場に供給していく。

 寄居工場はエンジンから車体までを一貫生産する国内の生産拠点として計画。敷地面積九十八ヘクタールで、稼働時は千七百人を雇用する。小川と合わせた投資額は千五百八十億円を見込んでいる。建設作業は〇七年から始まり、基礎工事を経て、今月には鉄骨の組み立てに着手した。

2009年3月25日水曜日

地元産西川材で道標 飯能・吾野宿 道遊会メンバー

 2009年3月24日(火)埼玉新聞を抜粋編集

 かつて秩父街道の宿場町として栄えた飯能市の「吾野宿」に往年のにぎわいを取り戻そう―と、吾野宿道遊会(金子堅造代表)のメンバーが二十一、二十二日、宿場町だった国道299号の旧街道に“記念柱”ともいうべき巨大な木製の道標を三本設置し、関心を集めている。

 吾野宿道遊会は、大正時代に建てられた古民家が今も残る歴史ある吾野宿(同市坂石町分)の街並みの再生と活性化を目指す地域の年配有志二十人が昨年四月結成。約二キロの旧街道に西川材で作ったプランターやベンチを設置し、朝顔などの花を植えて、地域の景観に一役買っている。

 吾野宿はかつて西武池袋線の終点駅で、秩父へはバスでつなぎ、西川材の主産地として栄えたが、最近、外材に押されて西川材は衰退し、後継者となる若者たちも都会へ移り、急激に町は寂れていった。

 道遊会は今後、バイパスにも旧道へ誘導する案内看板を設置し、西川材を活用した木製の作品を旧街道に展示し、木の良さを訪れる客に知ってもらい、高麗川や奥武蔵の山々など自然に恵まれた吾野宿をPRしたい、と張り切っている。

2009年3月23日月曜日

2009年3月17日火曜日

まちびらき祝う 川島インター産業団地

 2009年3月16日(月)埼玉新聞を抜粋編集
 
 周辺環境との調和を目指す新たな形の産業団地「圏央道・川島インター産業団地」(同町中山、上伊草)のまちびらき記念式典・記念祭が十五日、団地近くの町立西中学校や公園で開かれた。同団地は県が田園都市産業ゾーン基本方針に基づき、圏央道沿線地域で推進している産業基盤づくり事業の第一号として完成。

 同団地は川島インターチェンジ付近の約四十七ヘクタールに立地。周囲には武蔵野の原風景を残す田園地帯が広がる。県と町が二〇〇七年十一月に都市計画決定し不動産、建設会社などの共同出資でつくる「川島中山開発」が土地区画整理事業として施行した。

 事業のコンセプトは環境と産業の調和。団地周辺には今後、田園地帯の屋敷林をイメージし、ブナ科のシラカシ計三千八百本を植樹するなど、従来の産業団地とは異なる緑地空間を整える。

 団地内の全二十区画に十八社の進出が決まり、一部は今月中に操業を始める。進出するのは関東総合輸送、敷島製パンなど物流業や製造業が中心。県都市整備部は「この団地の特長は『みどり』のほかに『スピード』。官民の連携と地域住民の協力でわずか二年で完成した」という。

2009年3月16日月曜日

幸手のグルメ楽しもう 商工会が飲食店マップ

 2009年3月15日(日)埼玉新聞を抜粋編集

 幸手(さって)市商工会は市内の飲食店を紹介した「幸手グルメマップ」を作成した。A2版じゃばら折り。うなぎ、料理店、寿司、和洋食、中華、カフェ、居酒屋など多彩な五十店舗を紹介している。

 表面は飲食店の場所を案内した地図を掲載。裏面に店の特徴、お薦め品、値段、駐車台数などの情報を載せている。また、「料金の10%引き」、「デザートサービス」「そば券プレゼント」などのサービスが受けられるクーポン券九枚をつけた。

 作成を担当した同商工会経営指導員の小林明美さんは「マップを作成して、川魚料理の店が多いことや老舗が頑張っていることに気づいた。いろいろなお店があるのでぜひ利用を」と話している。問い合わせは同商工会(TEL0480・43・3830)。

2009年3月13日金曜日

新都心の交流施設 さいたま市

新都心ビジネス交流プラザ 埼京線北与野
  • 埼玉県創業・ベンチャー支援センター
  • 産学連携支援センター埼玉(略称:産学センター)
  • 団塊世代活動支援センター 
  • Mioオフィス

埼玉県男女共同参画推進センター With Youさいたま ホテルブリランテ内 埼京線北与野 

蓮馨寺(れんけいじ)、吉ケ谷遺跡竪穴住居跡な 県指定文化財

 2009年3月12日(木)埼玉新聞を抜粋編集
 
 県教委は十一日、川越市の蓮馨寺所蔵の古文書「蓮馨寺日鑑」など五件を新たに県指定文化財に指定した。

 蓮馨寺日鑑は、江戸時代中期から後期にかけて書かれた同寺の公用日誌で、計七十冊にわたる。浄土宗の学問所「檀林」の一つとして関東の有力寺院だった蓮馨寺と末寺との本末関係や、当時の川越藩の門前町の様子などが記されている。

 吉ケ谷遺跡竪穴住居跡(東松山市)から発掘された出土品二十三点は、比企地方の後期弥生時代研究の発端となった考古史料。甕(かめ)形、壷(つぼ)形など土器の主だった器種がそろっており、考古学史で土器の形式を設定する際の基準史料ともなっている。

 無形民俗文化財には、椋神社と秩父神社(ともに秩父市)の御田植祭が指定された。春の農作業に先立ち、境内を水田に見立てて稲作作業を再現し、豊作を祈願する行事。

 県内百四件目の指定史跡になったのは、本庄市の宥勝寺裏埴輪窯跡(ゆうしょうじうらはにわかまあと)とその出土埴輪(はにわ)四点。本庄台地の丘陵斜面に位置し、五基の登り窯が確認されている。県内で埴輪窯跡が確認されたのは鴻巣市に次いで二例目。未発掘のまま保存されているため状態が良く、後期古墳時代の埴輪製造を示す貴重な史料だという。

2009年3月12日木曜日

1位は彩の国黒豚 ブランド農産物の県民投票

2009.2.11産経新聞を抜粋編集

 埼玉県は県のブランド農産物の県民投票の結果を発表した。1位は県が開発したブランド豚肉「彩の国黒豚」。以下、県産米の「彩のかがやき」、ブランド黒毛和牛の「武州和牛」と続いた
 3位以下は(4)いちご(5)北川辺のコシヒカリ(6)ねぎ(7)彩の国地鶏タマシャモ(8)ナシ「彩宝」(9)ほうれんそう(10)ブロッコリー-だった。

 1位の黒豚は、さっぱりとした食感と柔らかさが特長だが、価格は通常の国産豚より1.7倍~2倍程度と割高。その上、県は「一定のブランド力はあるが、鹿児島県産などと比べるとまだ十分ではない」と率直に認める。

2009年3月11日水曜日

見沼田んぼの未来語る さいたまでフォーラム

 2009年3月9日(月)埼玉新聞を抜粋編集

 さいたま市と川口市にまたがる見沼たんぼ(約千二百六十㌶)の将来を展望する市民フォーラムが五日、さいたま市の埼玉会館で開かれ、現状と課題を踏まえた「見沼100年ビジョン」へ十七の提案がまとまった。地権者や生産者、市民団体などでつくる「見沼100年ビジョン有識者会議」が主催。約八十人の市民らが参加した。

 見沼たんぼは、首都圏の貴重な大規模緑地帯と広大な遊水機能を有し、国土交通省の「保全すべき首都圏の緑地」に選定。しかし近年は農家の高齢化や後継者不足に伴い、耕作放棄地が増加。ごみの不法投棄も増え、市民の癒やしと農業の安定化を図る新たな田園都市空間としての創造が求められている。

 同会議は、地元農家らと意見交換しながら環境保全と地域経済の活性化を両立させる新たな施策を模索。昨年八月末から続く八回の協議を経て今回の提案書にこぎ着けた。

 提案書は「農業振興」「環境」「地域振興」の三分野にかかる施策を短、中、長期計画に振り分け、具体的な十七提案を盛り込んだ。大規模な直売所とともに一般市民向けの体験農園を備えた田んぼの駅(道の駅)設置や、見沼通船掘などの文化遺産を活用した観光事業の確立、見沼たんぼを一望できる展望台の整備といった提案も。

 一方で、農業の基盤強化に目を向けた農地整備推進機構の設置、環境に力点を置いた食農教育の推進、芝川再生プロジェクトといったものもあり、横断的に見沼の将来を展望している。

 同会議は、県や市に提案書を提出。座長を務めた平修久・聖学院大政治経済学部教授は「見沼たんぼはさいたま市はもちろん、首都圏の中で大きな財産。それを守っている農家の方々を支える仕組みが必要だ」と、実態に即した行政支援を訴えた。

2009年3月9日月曜日

足袋蔵から見えてくる地方都市の景観 行田市

足袋蔵から見えてくる地方都市の景観
クオリティ埼玉 2009 年 1 月 3 日

「埼玉県物産観光協会」鏡山跡地に県特産品を5月から展示販売

「埼玉県物産観光協会」が4月に誕生する。
観光連盟と物産振興協会が合併するもので、事務所はソニックシティビルにおかれる。
また県は4月に観光課を新設する。

2009年3月7日土曜日

卵かけご飯いかが 寄居

 2009年3月6日(金)埼玉新聞を抜粋編集

 世界的な不況の影響で、外食から家での食事に回帰する傾向が強まるなか、卵かけご飯がブームになっている。寄居町赤浜の丸一養鶏場でも、放し飼いができる鶏舎で生産した卵の「エコッコ」を販売。都内の自然食品のスーパーなどにも卸され、人気を集めているという。

 鶏舎は、鶏の健康面を配慮したヨーロッパのシステムを国内で先駆けて導入した。えさを食べたりふんをする場所、運動をする場所、産卵をする場所などエリアが分かれているのが特徴。放し飼いの場合、卵とふんが接触するリスクがあるが、エリア分けをすることで衛生面での問題を解消している。

 二〇〇七年から放し飼いを始め、現在は約一万羽を飼育している。えさは非遺伝子組み換えのトウモロコシや大豆、ゴマやカキ殻など十二種類を自家配合。

 末端価格は一個六十円程度とケージ飼いの卵の倍はするが、卵かけご飯など生食用の“こだわり卵”として支持を集めている。

 同養鶏場で直売もしている。問い合わせは丸一養鶏場(TEL048・582・1135)。

2009年3月5日木曜日

16年ぶり骨格予算  川越市09予算案

 2009年2月25日 埼玉新聞を抜粋編集

 今年一月の市長選で新市長が誕生したことを受け、市は「政策的経費の計上は避け、人件費などの義務的経費など必要最低限の経費を計上するいわゆる『骨格予算』を編成した」としている。同市が骨格予算を編成するのは前市長が初当選した九三年以来、十六年ぶり。

  今年三月末から、川越市を舞台にしたNHK朝の連続テレビ小説「つばさ」が放映される。これに絡み、市街地のメーン通りで渋滞など交通問題を抱えている一 番街(県道)について、今秋をめどに一方通行や歩行者天国の実証実験を実施。この結果を踏まえ、周辺自治会など関係機関と安全対策を検討する。

 建設から三十年以上が経過し老朽化が著しい市営斎場(川越市旭町)の代替施設建設のため、将来需要の調査を実施したうえ、施設規模などの基本構想を策定する。

また、市立川越高校の将来構想を含め中高一貫教育や小中一貫教育の在り方について、大学教授や教育関係者ら有識者で構成する検討会議を設置し、幅広く調査、研究する。

2009年3月4日水曜日

「彩の国景観賞2008」受賞作品決まる

クオリティ埼玉 2009年2月16日を抜粋編集

 少しでも良好な景観形成に対する住民の意識を触発し、美しい埼玉の景観づくりに一役買うことを目的に始められた彩の国景観賞。22回目となる2008年度の受賞作品が決まり、2月12日、授賞式がプリムローズ有明(さいたま市浦和区)で行われた。
 受賞作品を紹介しておこう。

 まず、「たてもの・まちなみ部門」は、歴史・文化の保全、水・緑への調和などが感じられる建築物、工作物、まちなみなどを表彰するものだ。受賞したのは、下記6作品。

 鴻巣市花と緑と音楽の館かわさと「花久の里」(鴻巣市)、
児玉高窓の里(本庄市)、
秩父市立秩父第一中学校(秩父市)、
ほっとすぽっと秩父館(秩父市)
、Poram Building(さいたま市)、
山吉ビル(川越市)。

 換気用の窓を屋根に載せた養蚕農家群がまとまっている児玉高窓の里、30年前に廃業されていた商人宿を改修し、にぎやかな交流の場に再生させた「ほっとすぽっと秩父館」をはじめ歴史的な背景を有する作品と、密集する市街地の景観形成のモデルともなるPoram Building、秩父第一中などの現代建築がある。

 「心にうるおい部門」も同じく6作品。住民が主体となったまちづくりの活動や良好な景観を守り育てる活動など。水や緑を用いて身近な生活環境にうるおいを与える建築物、公園、緑地などが対象となる。

 荒畑富士の清掃活動(所沢市)、
越辺川の八幡橋(坂戸市)、
坂戸市成願寺 稲荷神社の修復活動(坂戸市)、
花ロード美女木(戸田市)、
みやしろの顏・進修館四季の丘(宮代町)、
横瀬町寺坂棚田の保存活動(横瀬町)。

 越辺川にかかる木造りの冠水橋、県内最大規模の寺坂棚田、明治時代に造られた荒幡富士はじめ観光で訪れてみたいと思わせる受賞作品群である。

2009年3月1日日曜日

『バラの小径』30メートル延長 川島・平成の森公園

 2009年2月27日(金)埼玉新聞を抜粋編集

 川島町下八ツ林の平成の森公園内の日本一長いとされているバラのトンネル「バラの小径(こみち)」(全長三〇〇・五メートル)で、植樹会が行われた。バラの新オーナーとなった町民五十人が苗木計五十本を植えた。今回の作業でトンネルの全長が三十メートル延長された。

 園内の北西に位置するトンネルは旧六ケ村が合併して誕生した川島町の五十周年を記念して作られ、二〇〇六年に完成した。前回もオーナーを募集し五十三種、約三百八十本が植えられた。

2009年2月27日金曜日

彩の国景観賞コース:行田市

彩の国景観賞コース:行田市

越生町 田島公子町長が初登庁

2009年2月26日(木) 埼玉新聞を抜粋編集

 田島公子町長(62)が二十五日、同庁舎に初登庁した。

 同町議だった田島町長は町民と行政の協働を基本姿勢に町政の刷新を訴えて町長選に出馬。五選を目指した現職と一騎打ちの激戦を展開。百二十三票の小差で現職を破り、初当選を果たした。県内では大利根町の柿沼トミ子町長に次いで、史上二人目の女性町長となった。

2009年2月18日水曜日

2009年2月17日火曜日

埼玉県特別栽培農産物認証制度とは

【PDF】埼玉県特別栽培農産物認証制度とは
埼玉県特別栽培農産物とは、農薬、化学肥料を半分以下に抑えた生産物のことで、「元気満載」マークを使用することができます。

さいたま市青少年宇宙科学館

さいたま市青少年宇宙科学館プラネタリウムなど

2009年2月16日月曜日

さいたま市宇宙劇場

さいたま市宇宙劇場さいたまに輝くプラネタリウム

2009年2月13日金曜日

さいたま市の観光スポット

さいたま市の観光スポットさいたま観光コンベンションビューロー

『歩いて廻る 比企の中世・再発見』改訂版を制作中

 2009年2月12日(木)埼玉新聞を抜粋編集

 中世・武蔵の国の表舞台で「歴史の十字路」といわれる比企地域。その魅力を伝えるガイドブック「歩いて廻る 比企の中世・再発見」が、品切れとなるほど好評だ。現在、内容を大幅に変更した「改訂版」を増刷中。

 比企地域は「武蔵の国の歴史は同地域を中心に動いた」といっても過言ではないというほどの歴史の宝庫。鎌倉将軍家を支えた有力御家人の遺跡伝承地や武将の居住地跡が数多く存在する。戦国時代の山城も数多く点在し「比企城館跡群」として文科省から平成十九年、史跡として指定を受けた。

将軍頼家の外戚・比企氏の館跡、
源範頼の館跡と伝えられる御所遺跡、
有力御家人の野本氏館跡、
大串次郎重親館跡、
秩父氏の嫡流・畠山重忠館跡、
河越氏の娘婿源義賢館跡など。

また畠山氏と慈光寺、比企氏と正法寺、大串氏と金蔵院、野本氏と無量寺など有力武士とのかかわりを伝える寺院も、数多く存在する。

 「比企の中世・再発見」では「武蔵大蔵合戦の遺跡コース」「鎌倉御家人ゆかりの地コース」「松山城と城下町コース」「比企の観音霊場コース」など、計十四のウオーキングコースを紹介。

 販売は、四月以降から県立嵐山史跡の博物館(TEL0493・62・5896、比企郡嵐山町菅谷七五七)で。

2009年2月12日木曜日

さいたまウォーカー:さいたま市関係の総合サイト

さいたまウォーカー
さいたま市関係の総合サイト

渋沢栄一賞 ヤオコーの川野氏ら

 2009年2月11日(水)埼玉新聞を抜粋編集
 
 「第七回渋沢栄一賞」と「第四回渋沢栄一ベンチャードリーム賞」の表彰式が十日、さいたま市浦和区の知事公館で開かれた。食品スーパー「ヤオコー」(川越市)会長の川野幸夫氏ら三個人、四社が上田知事から表彰を受けた。

 渋沢賞を受賞した川野氏は、県内を中心に約百店舗を展開し、十九年連続で増収増益を達成するなど、優れた経営力を発揮。小学生の長男をウイルス性脳炎で亡くした経験から一九八九年に川野小児医学奨学財団を設立し、小児医療にも貢献してきた。

 ベンチャードリーム賞の大賞に輝いた富士計測システム(川越市)は、自動車エンジンなどの開発や研究に必要な計測制御試験装置をオーダーメードで製造。独創的で高い技術力が評価された。佐藤義人社長は「光栄に感じ、謙虚な気持ちで深く感謝している」と感想を述べた。

 それ以外の受賞者(企業)は次の通り。(敬称略)

 【渋沢栄一賞】大山泰弘(日本理化学工業会長)後藤磯吉(はごろもフーズ顧問)
 【渋沢栄一ベンチャードリーム賞】優秀賞=ハイパーギア(さいたま市)リングアンドリンク(所沢市)▽特別賞=スープラディスプレイ(和光市)

2009年2月9日月曜日

川越市の地盤

川越市の地盤【画像】
  • 市役所が武蔵野台地の北端
  • 市役所を頂点として、西武新宿線と東武東上線とに挟まれた市の南部はほぼ台地
  • 市の北西部の小畦川区域も台地

くし焼き「ひびき」FC本格化 オーナーに中高年採用

2008年11月21日日経新聞を抜粋編集

 豚肉くし焼きの持ち帰り店などを展開するひびき(埼玉県川越市、日疋好春社長)は早期退職者など中高年を積極的に採用し、フランチャイズチェーン(FC)展開を本格化する。景気後退に伴い、再就職は難しいが意欲のある人材を発掘できると判断。個人向けに研修を充実させてのれん分けを進め、2013 年6月期末までに計30店舗の出店計画を達成する考えだ。

 今後のFC契約を見込んで、08年は50―60代の中高年を5人雇用した。採用された人は給与の支給を受け、研修を積みながら6カ月以上直営店で働く。調理や店舗管理などのノウハウを十分吸収できた段階で独立する形をとる。

2009年2月7日土曜日

コクーン新都心 さいたま市

コクーン新都心埼玉県最大級のショッピングモール

2009年2月5日木曜日

先祖供養の板碑(いたび)は武藏から

板碑は、亡くなった親や先祖を供養するために石を薄い板状に加工してつくった石性の供養塔のことです。 写真
始まりは鎌倉時代初期の武藏国にあります。
埼玉県県内では20000基以上あり、日本一の数です。

板碑ウィキペディア

川越の芋うどん 舟運亭

川越の芋うどん 舟運亭(しゅううんてい)

笑う門には福来る

2009年2月4日水曜日

3月15日まで埼玉の武士の誕生を探る特別展

2009.1.31産経新聞を抜粋編集

 10世紀~12世紀の武蔵国の武士の誕生や生き方を紹介する特別展「誕生武蔵武士」が、さいたま市大宮区の埼玉県立歴史と民俗の博物館で開催される。

 博物館によると、県からは鎌倉幕府の開幕に貢献した現在の嵐山町の畠山重忠ら多くの武士が誕生している。特別展では、平将門を討った北関東の武士、藤原秀郷の甲冑(かっちゅう)金具「号避来矢(ひらいし)」など重要文化財を含む約500点を展示。資料を通して武蔵武士がどのように誕生し力をつけていったのかを紹介する。

2009年2月3日火曜日

「名月赤城山」の作詞者 矢島寵児(ちょうじ)の碑建立 川島町

2009年2月3日

「名月赤城山」の作詞者 矢島寵児(ちょうじ)の碑が川島町に建立が建立されました。
矢島寵児は川島町の出身です。
昭和の名曲 「名月赤城山」は、東海林太郎の歌で一世を風靡(ふうび)しました。
名月赤城山 【動画】

NPOふれあい交流会 2月21日(土)伊奈町

▼NPOと楽しく遊ぼう!学ぼう! ~NPOふれあい交流会~

県内各地のNPO・ボランティア等の市民活動団体が県民活動総合セン
ターに集合します。寄せ植えや子どもと楽しむ体験、手工芸品のお店
など、市民活動団体と楽しく過ごしませんか。

日 時:平成21年2月21日(土) 10:00~15:00
会 場:埼玉県県民活動総合センター 
内 容:パネル展示コーナー、体験コーナー、販売コーナー など
参加費:無料(実費がかかるものもあります)
申込み:事前申込み不要、どなたでも参加できます。
問合せ:埼玉県県民活動総合センター 活動支援担当
電 話:048-728-7116
主 催:埼玉県/財団法人いきいき埼玉/NPO法人エヌピーオーさいたま

2009年2月2日月曜日

石川遼「埼玉県民であることに強い誇り」 スポーツ功労賞

 2009年1月31日(土)埼玉新聞を抜粋編集
 
 県は三十日、松伏町(まつぶしまち)在住のプロゴルファー石川遼選手(17)に彩の国スポーツ功労賞を贈呈した。石川選手は「自分が埼玉県民であることをこんなに強く誇りに思ったことはない」と米国で行われるマスターズ・トーナメントでの活躍を誓った。

表彰状とともに県のマスコット「コバトン」のヘッドカバーやゴルフボール用ポーチを贈呈すると、石川選手はさっそくカバーをクラブにつけてにっこり。「県民の皆さんからの応援を手に、戦っていける気がする。マスターズに向けて勉強を積み重ねたい」と抱負を述べた。
と話していた。

【コメント】
「埼玉県民」であることを堂々ととなえる石川遼。
「彩の国」と逃げ腰でささやく方々とは対照的です。

15歳の誓い胸に 伝統の立志式40回目 日高・市立高麗中

 2009年2月1日(日)埼玉新聞を抜粋編集
 
 論語の「志学」にちなんで、数えで十五歳になる中学二年生が自分の将来に対する志を全教職員や生徒、保護者、地域の人々の前で披露する「立志式」を、日高市梅原の市立高麗中学校(村田保夫校長、生徒数百二十人)が続けている。今年で四十回目。かつての元服式にも通じるこの行事を行っているのは県内の中学校で同校だけだ。

 高麗中学校はヒガンバナで知られる巾着田のある高麗川を隔て、日和田山と真向かいの小高い丘の上にある。

 伝統ある同校の立志式は一九七〇年一月に始まり、毎年続けている。【1】自分をじっくり見つめ、将来を考える機会にする【2】将来の目標を持つ【3】進路について考え、充実した三年生の生活につなげる―などが目的だ。

 三年生は一年前の自分の体験を思い起こし、一年生は来年の自分の姿を想定しながら聞いているようだった。保護者の中にはわが子の言葉に涙ぐむ人も。

 上田昇教頭は「聞き応えのある発表だった。世界に目を向けた夢や、人のため社会のために尽くそうという決意、夢の実現に向けての計画を考えている生徒もいるなど感心した」と感想を述べた。

2009年1月31日土曜日

やきとりじいさん体操 東松山市

2009年1月31日Yahoo!新語探検を抜粋編集

日本各地で「焼き鳥」でまちおこしをしようという気運が高まっている。2006年1月には「焼き鳥の街」として売り出している
  室蘭、福島、東松山、今治、久留米
の5つの市の代表者が集まって、「全国やきとり連絡協議会」を設立。同年11月には美唄と長門も参加している。福島市ではシンガーソングライターのもりたかしの『やきとりじいさん』をキャンペーンソングとして採用。

この歌に合わせて福島県在住の体操教室主宰・岡田麻紀が考えたのが「やきとりじいさん体操」である。

手を上げて背筋を伸ばし体をひねる「串刺しのポーズ」や、手をネギに、もう一方の足を鶏肉に見立てて片足で立つ「ネギマのポーズ」など、焼き鳥にちなんだ動きが随所に入れられている。福島県の各地のイベントなどで行われている。

坂戸市塚越 大宮住吉神社で豆まき 2月3日5時から

坂戸市観光協会

2009年1月30日金曜日

「成功する女たち」出版 埼玉同友会

 2009年1月17日(土)埼玉新聞を抜粋編集

 埼玉中小企業家同友会(新井俊雄代表理事)の女性経営者クラブ「ファム」は、さいたま市大宮区のラ・フォーレ清水園で「成功する女たち~埼玉の女性企業家19+1~」の出版記念パーティーを開き、本に登場する女性経営者や関係者など八十人が参加し出版を祝った。

 「ファム」の久賀きよ江委員長は「かかわった全ての人に感謝したい」とあいさつ。来賓の岡島敦子県副知事は「感動的な内容で二回も読み直しました。多くの女性に読んでほしい」と期待を寄せた。

 同書は「ファム」のメンバー十九人の体験をそれぞれの立場で語った内容。歩んできた生き様を伝えることで、起業を目指している女性たちにエールを送り、壁に突き当たったときのノウハウを提供する意図で出版した。

高麗鍋でコンテスト 2月8日 日高市

 2009年1月27日(火)埼玉新聞を抜粋編集
 
日高市の新名物「高麗鍋」コンテストが、同市商工会の主催で二月八日正午から同市新堀の高麗神社を会場に行われ、十五チームが参加して競われる。

 高麗鍋は、二〇一六年の高麗郡建郡千三百年記念祭に向けて高麗神社と市内の飲食・食品関係者が考案したもの。地場産のニンジン、ゴボウ、大根、シイタケ、白菜、水菜、豆腐、コンニャク、豚肉、キムチなどを煮込み、味噌、醤油、酒、牛乳などで味付けしたもので、キムチの辛さとまろやかな味噌の風味が食欲をそそると好評。

 コンテストには、市民または主に市民で構成する各種のグループ三人~五人前後の十五チームが出場。各チームには同市商工会が食材購入費として一チーム当たり一万五千円を事前に払い、当日、百五十食分の量を用意してもらって、市民に提供することになっている。

2009年1月28日水曜日

“ビッグ”り大満足 滑川でイチゴ狩り

 2009年1月27日(火)埼玉新聞を抜粋編集
 
 滑川町福田の谷津の里いちご農園で30分食べ放題のイチゴ狩りが開園した。
 品種は甘味の中に適度な酸味がある新品種「紅ほっぺ」と、さわやかな甘さを持つ「章姫」。全長7、8センチのイチゴもあり、関係者は「紅ほっぺはとちおとめに慣れた関東の人にも満足してもらえるはず」とPRしている。

 同農園は高さ約1メートルの「高設栽培」で育てているのが特徴。
 イチゴ狩りは5月まで。直売もある。問い合わせは、谷津の里(TEL0493・56・5055)へ。

街中に昭和再現 寄居  うどん、おでん屋台並ぶ

2009年1月27日 読売新聞を抜粋編集

 屋根から突き出たタワーの上に懐かしいオート三輪、店の中には屋台がずらり――。寄居町の中心街に、内外装を昭和30年代のイメージで固めたテーマパーク「ふるさと屋台村よろし市場」が登場し、若い人やお年寄りなどの人気を集めている。地産地消をモットーに、街おこしにも一役買いそうだ。

 「寄居」「ローカル(地域)」「支援」の頭文字から名付けた「よろし市場」。広さ約200坪の店内には昭和30~50年代の音楽が流れ、うどんやおでん、焼き鳥など7台の屋台が並ぶ。駄菓子屋や射的場、ピンボール台など懐古趣味のオンパレード。食材はいずれも協力を得た近隣農家から購入したものばかり。肉汁うどんの大500円、小400円、すいとんが500円など、手軽な値段も人気の秘密だ。

 社長を務めるのは建設業を営む斎藤享弘さん(46)。「色んな食べ物を1か所で食べる場所を作りたい」と、大型薬局が撤退して空いた店舗を、屋台村に作り替えることを思いついた。地元商工会の協力に加え、都内などで「昭和」をテーマとした街づくりを手がけるプロデューサーの久保浩さんを迎えて、店舗作りを始めた。

 内装は、寄居町内でのドラマロケに使われた家屋の一部を屋台に組み込んだほか、廃業したパチンコ店のネオンやイス、カウンターなどを再利用。かつて銭湯などで目にした牛乳の自動販売機なども置き、高度経済成長期の雰囲気を醸し出した。

 斎藤さんの娘、佑紀さん(26)が市場長を務めるほか、約20人の従業員は寄居町の住民ばかり。斎藤さんは「お客さんたちと作り上げるテーマパークでありたい」という。今後、ベーゴマ大会などのイベントも企画している。

 祝日を除く水曜定休。営業時間は午前11時~午後10時。問い合わせは、よろし市場(048・586・0008)。

2009年1月26日月曜日

川越城を視覚 仮囲いにグラフィック

 2009年1月26日(月)埼玉新聞を抜粋編集
 
 江戸時代末期の1848年(嘉永元年)に川越藩主松平斉典(なりつね)が建造したとされる県指定の有形文化財「川越城本丸御殿」の保存修理工事現場の仮囲いに、同御殿に関する絵図や写真などのグラフィックシートを川越市が設置した。

 グラフィックシートは、江戸図屏風(びょうぶに描かれている川越城の絵と川越城の図)、本丸住居絵図のほか、修理前の本丸御殿の内観などの写真約15点と解説など。高さ三㍍の囲いに幅約40㍍のシートを設置した。

 川越城は1457年(長禄元年)に太田道真、道灌親子が築城。江戸時代に川越藩主松平信綱が拡張した。1846(弘化三)年に二の丸御殿が焼失したが、2年後、斉典が本丸御殿を再建した。庁舎(明治期)や武道場(昭和期)として使われ、1968年から一般公開されている。

 本格的な保存工事は約40年ぶりで、工期は11年2月までの約2年四カ月間。グラフィックシートは10年末まで設置するという。

川越市長に川合善明氏 「変革」訴え初当選

 2009年1月26日(月)埼玉新聞を抜粋編集
 
 川越市長選は無所属の新人で、前市長の故川合喜一氏の次男で弁護士の川合善明氏(58)=自民、民主、公明推薦、社民支持=が、同じく無所属の新人で前副市長の細田照文氏(68)を破り、初当選を果たした。市議会最大会派の議員らが分裂して両陣営を支援するなど市内の保守層を二分した選挙戦は怪文書が飛び交うなど激しいデッドヒートを繰り広げたが、舟橋市政の刷新を訴えた川合氏が保守層や無党派層を含め幅広い支持を取り付け、細田氏を振り切った。

 川合氏は保守政党や医師会など市内約二百五十団体の推薦を取り付け、地元選出県議や市議二十四人の支援を受けるなど組織的な選挙戦を展開。「変えよう川越」をスローガンに市政の刷新を訴え、取りこぼしなく支持層を拡大するとともに、無党派層への浸透を図った。

 今期限りの勇退を決めた舟橋功一市長(76)=四期=の後継指名を受けた細田氏は長年の市職員と副市長の実績を武器に「舟橋市政の継承と発展」を訴え、支持者を固めるとともに、「市民が主役の市民党」を標榜(ひょうぼう)し、無党派層の取り込みを狙ったが、いま一歩及ばなかった。

 当日の有権者数は、二十六万九千四百九十人(男十三万五千百三十五人、女十三万四千三百五十五人)。市長選の投票者数は九万八千三百八十九人(男四万八千七百十一人、女四万九千六百七十八人)。投票率は36・51%(男36・05%、女36・98%)で、過去最低だった前回(二〇〇五年)の32・10%を4・41ポイント上回った。

川合 善明氏

 【略歴】《1》弁護士《2》川越市選挙管理委員長、東京弁護士会副会長《3》早稲田大学政経学部《4》川越市《5》川越市松郷

 【公約】《1》行財政改革《2》小、中学校の耐震化補強《3》地域医療体制の整備《4》交通渋滞解消などまちづくりの推進《5》子育て支援と少子化対策

2009年1月25日日曜日

渋沢栄一賞にヤオコー川野幸夫氏ら3氏 

2009.1.14産経新聞を抜粋編集

 優秀な業績を上げ社会に貢献した全国の企業や経営者を埼玉県が表彰する「渋沢栄一賞」の第7回受賞者に、事務用品製造販売の日本理化学工業(川崎市)会長の大山泰弘氏(76)▽小売業ヤオコー(川越市)会長の川野幸夫氏(66)▽缶詰やレトルト食品製造のはごろもフーズ(静岡市)顧問、後藤磯吉氏(89)の3人が決まった。

 大山氏は、粉が飛び散らないチョークで国内シェアトップを誇り、全従業員のうち7割を超える55人の障害者を雇用していることなどが評価された。

 川野氏は、スーパー「ヤオコー」を展開して19年間増収増益を達成し、小児医療研究の分野に20年にわたり助成を続けていることなどが受賞理由。

 また、後藤氏は、自ら開発した「シーチキン」でツナ缶詰の国内シェアトップとなり、静岡県の教育研究機関へ助成を続けてきたことなどが認められた。

産学連携で観光マップ 武銀と立教大

 2009年1月24日(土)埼玉新聞を抜粋編集
 
 第一弾は〝宿場町〟幸手

 県内の観光活性化に貢献しようと、武蔵野銀行と立教大学は、幸手市の観光マップ「幸手まち歩きマップ~ぶらって幸手」を作製し、同行本支店や県庁、幸手市役所、東武鉄道の県内各駅などに配布している。

 同行は〇七年七月、地域活性化を目的に、立教大と産学連携協定を締結。新座キャンパスにある観光学部と連携し、「埼玉 地域交流フットパスプロジェクト」を立ち上げた。幸手観光マップは活動の第一弾。幸手市は日光街道の宿場町として栄え、今でも江戸の風情や昭和の面影が残っていることから選定。

 観光学部の学生が中心となって企画や現地調査を行い、村上和夫、松村公明両教授からアドバイスを受けて作成した。同行ホームページからもダウンロードできる。

2009年1月23日金曜日

不況 人材獲得の好機 農林業で求人ラッシュ

 2009年1月18日(日)埼玉新聞を抜粋編集
 
 派遣切りなどによる失業者が急増する中、後継者不足が続いていた農林水産業の求人がラッシュ状態だ。不況を人材獲得の好機とする狙いで、農林水産省によると、埼玉県関係の求人は農業十九人、林業二十三人の計四十二人。農業法人や森林組合、水産会社などの求人は全国で千八百人を突破し、応募の問い合わせも二千件近く。「近年、これだけ農林水産業への就職に関心が集まったことはない」(農水省幹部)として、国や自治体、業界団体は相談窓口設置や研修支援など就労を応援する取り組みを強化している。

 農水省が業界団体から集約した今月十六日現在の全国の農林水産業求人数は計千八百十人。求人の急増を受けて実態を把握しようと急きょまとめたもので、内訳は農業関係が八百三十三人、林業が七百八十二人、漁業が百九十五人だった。

 各地の就労相談会も盛況だ。「仕事がきつく、景気の良いときは見向きもされない」(全国森林組合連合会)といわれた林業が脚光を浴び、同連合会が九、十日に大阪で開いた説明会には千七百人が来場した。埼玉県が十六日にさいたま市内で開いた就農支援セミナーも約二十人の定員が満員。二月開催分は定員を増やす。

おがわ仙覚万葉まつり 気分は平安時代

 2009年1月22日(木)埼玉新聞を抜粋編集

 鎌倉時代に日本初の本格的な万葉集解説書「万葉集注釈」を著した仙覚律師をもっと多くの人に知ってもらおうと「おがわ仙覚万葉まつり」が小川町で開かれた。ウオーキングや古代米でつくった万葉粥(かゆ)試食会、小川和紙で作った平安装束の試着会など多彩な催しが行われた。

 万葉集は、大化の改新から古代国家が建設された奈良時代にまとめられた日本最古の歌集。皇族から貴族、僧侶、農民まで広い階層の歌が収められている。仙覚は、比企一族が滅亡した一二〇三年に常陸の国(茨城)で生まれ、母は比企能員(よしかず)の内妻とされている。

 僧侶であった仙覚は、平安時代にはすでに、漢字の音を文字で表す万葉仮名が読めなくなっていた万葉集の研究を十三歳の時から志した。漢字のすぐ脇にカタカナで訓を書き記す手法で一首もあまさず訓点をつけた。その「万葉集注釈」(仙覚抄)を完成した場所が、現在の小川町(麻師宇郷)という。

2009年1月20日火曜日

川越市長選告示 現市政めぐり一騎打ち

 2009年1月19日(月)埼玉新聞を抜粋編集

 任期満了に伴う川越市長選が十八日、告示された。前市長の故・川合喜一氏の次男で、弁護士の川合善明氏(58)=自民、民主、公明推薦、社民支持=と前副市長で、財団法人理事長の細田照文氏(68)のいずれも無所属の新人二人が立候補を届け出た。今期限りの勇退を決めた舟橋功一市長(76)=四期=の後継指名を受けて、「舟橋市政の継承と発展」を訴える細田候補に対して、川合候補は「変えよう川越」をスローガンに舟橋市政からの変化を訴える。市政のかじ取り役の継続か刷新か。市内の保守層を二分する一騎打ちがスタートした。

 川合候補は「このままでは基盤整備が遅れ、地盤沈下する」と市政の現状を指摘するとともに、「行財政改革を進めた上で、福祉や道路、子育て支援など本当に必要な事業に取り組む。情報公開を進め、市民にとって何が必要なのかを判断して政策を進めたい」と第一声を放った。

 細田候補は「市職員と副市長などを経験し、県や国へのパイプがある」などと長年の行政上の実績を強調。その上で「教育、環境、観光、福祉などさまざまな課題への公約は市民の意見を聞きながら必ず実行し、『住んで良かった』から『住みたくなる』街づくりを目指す」と力を込めた。

 今回は現職が後継指名した細田候補の対抗馬に自民、公明と民主が相乗りする構図。市議三十九人中二十四人が川合候補への支援を表明している一方、細田候補は「市民党」を名乗る選挙戦を展開する。

 舟橋市長が約四百票のきん差で中野清氏(現・自民党衆議院議員)を破り、初当選を果たした十六年前と同様に、市内の保守層を二分する激戦となるのは必至だ。組織の上滑りの防止を図り、基礎票を取りこぼさず、無党派層をどれだけ取り込めるかが明暗を分けそうだ。

 市長選と市議補選の投票はいずれも二十五日午前七時から午後八時まで、大東南公民館など市内五十六カ所で行われ、同午後九時から川越運動公園総合体育館で即日開票される。両選挙の大勢は午後十一時ごろに判明する見込み。

 有権者数は十七日現在、二十七万二千五十九人(男十三万六千四百九十三人、女十三万五千五百六十六人)。

板碑(いたび)に見る中世の姿 嵐山で企画展 

 2009年1月17日(土)埼玉新聞を抜粋編集

 嵐山町菅谷の県立嵐山史跡の博物館で、中世の板碑約九十点を通して人々の信仰や営みを探る企画展「板碑が語る中世~造立とその背景~」が行われている。

 板碑は石製の供養塔。県内に造立された板碑の数は日本一を誇り、材料に緑泥片岩(青石)という石材が使われていることも特徴の一つ。

 熊谷市にある嘉禄三(一二二七)年銘の整形板碑は起年銘のある日本最古。東松山市大谷地区で見つかった阿弥陀三尊の図像板碑は今回が初公開で、上部は失われているものの大型板碑と推定されている。

 また、板碑の未完成品が発見されたことで板碑石材の加工作業が実証された小川町下里地区の板碑石材採石遺跡なども紹介している。

2009年1月17日土曜日

町民の手作りスケート場 ときがわ

2009年1月15日(木)埼玉新聞を抜粋編集
 
 ときがわ町民の手づくりの天然氷のスケート場が昨年末オープンし、町内の小学生らのスケート教室などに利用されている。土・日・祝日(午前9時~午後4時)には、一般にも開放されている。

 天然氷のスケートリンクのため氷が溶けるまで二月上旬ごろまでの営業となる。

 同スケート場は、三十四年前の一九七五(昭和五十)年、当時の体協役員らが行政にアイススケート場開設を進言。スポーツ少年団の子どもらなどが奉仕作業して土地を開拓した。一九七七(同五十二)年に天然リンクが完成。スケート関係者のボランティアで一九八五(同六十)年にリンクの隣に山小屋風の管理棟を建設し、ほぼ、現在の形が出来上がった。まさに「町民の手作りスケート場」というのにふさわしい歴史を持っている。

 交通は、ときがわ町代替バス・竹の谷行「正法寺入口」バス停下車徒歩五分。

2009年1月15日木曜日

毛呂山町観光案内

毛呂山町観光案内 毛呂山町
  • 町の北西部は、埼玉県立 黒山自然公園
  • 西部地域を覆う山々は奥武蔵の山並みから、毛呂川や 大谷木川、阿諏訪川などの清流として流れています。
  • その山すそにひっそりとたたずむ「鎌北湖」は、春は桜、初夏の深緑、秋の紅葉など四季を映し出す 美しい湖です。また、ヘラブナ釣りのメッカとして有名な箕和田湖は、休日には多くの釣り人で賑わいます。

2009年1月12日月曜日

「書道」ブームの兆し 県立松山女子高校

2009.1.10産経新聞を抜粋編集

 書道ブームの兆しが表れている。減り続けてきた書道人口が4年ぶりに増加。幅広い活動で高校の書道部がテレビ出演を果たしたほか、書道教育特区を設置した自治体も登場し、書道を題材にした漫画も人気を集めている。(森本昌彦)
 財団法人社会経済生産性本部がまとめた「レジャー白書2008」では、平成19年の書道の参加人口は390万人で、前年から70万人増加した。ピーク時の820万人には及ばないが、4年ぶりに増加に転じた。

 「ブームを象徴する大きな出来事があったわけではないが、書道を楽しむ幅が広がっているのでは」。同本部余暇総研の主任研究員、柳田尚也さん(41)は、こうみている。

 部員数44人の大所帯を誇る埼玉県東松山市の県立松山女子高校。顧問を務める教諭の石原裕子さん(48)が赴任した8年前の部員は、わずか7人だった。

 部員が増えた理由は、実績と、パフォーマンスの存在だという。かな文字を中心に練習を重ね、「書の甲子園」として知られる国際高校生選抜書展の北関東ブロックで4年連続優勝。音楽に合わせ、巨大な用紙に歌詞を書くパフォーマンスはもともと部員集めのために始めたが、今ではテレビ出演を果たすほど人気を集めている。

 練習は運動部並みに厳しい。朝練に始まり、昼休みはミーティング、夜も7~8時まで自主練。大会前の合宿は連日、ほぼ徹夜だという。それでも、部長の小久保友貴さん(17)は「書いていると、いつの間にか朝になっている」と夢中だ。

川越市長選直前 市政の課題を追う[上]

 2009年1月11日(日)埼玉新聞を抜粋編集
突然の構想に波紋 庁舎移転 財政裏付け鍵

 任期満了に伴う川越市長選挙は十八日告示、二十五日投開票される。今期限りで勇退を決めた舟橋功一市長(76)=四期=が後継指名した元副市長で財団法人理事長の細田照文氏(68)と、前市長の故・川合喜一氏の次男で弁護士の川合善明氏(58)が出馬を表明しており、新人二人による一騎打ちとなる公算が大きい。市民の関心を集めているのは、舟橋市長が打ち出した川越駅西口への市庁舎移転構想が実現できるかどうか。また、今年三月から放映されるNHK朝の連続テレビ小説「つばさ」を控えて観光客の急増が予想される中、蔵造りの民家が並ぶ一番街をはじめ市街地の交通渋滞緩和策や駐車場対策など環境整備をどう進めるのか。告示前に市政の主な課題を探った。

 「市長。壇上に乗ってください」。議場の市長席で独り言のように何かつぶやく舟橋市長に、議長が促した。舟橋市長は登壇し答弁したが、「暫定休憩して執行部に整理させろ」と野次が飛び交い、議場は騒然となった。結局、答弁途中で議会は中断され、舟橋市長はその夜、狭山市内の病院に緊急入院した。

 昨年九月、川越市議会の一般質問での出来事。市庁舎移転に関する舟橋市長の発言をめぐり、修正や訂正などを求める中原秀久市議に対して、かみ合わない答弁が続いていた最中だった。議会は翌々日、再開。副市長だった細田氏が市長答弁を代読し、取りあえず事態は収拾した。

 庁舎移転問題の発端は一昨年九月にさかのぼる。舟橋市長は議会の一般質問の答弁で「財政負担を抑えるため、JR川越駅西口前の市有地に上層階を住宅にした高層ビルの庁舎を建設したい」と庁舎移転構想をぶち上げた。関係者への根回しがなかったためか、市長の発言に議員をはじめ関係者に波紋が広がった。

 この構想に敏感に反応したのが、現庁舎のある旧市街地の自治会で組織する「十か町会」(十二自治会加盟、小川邦夫会長)。「現庁舎周辺の商店街がさびれ、川越駅周辺に交通渋滞が予想され混乱を招く」などを理由に昨年二月、庁舎移転に反対する意見書を市に提出している。

 市長の意向を受けて市は昨年二月から約一カ月にわたり、市民五千人を対象に西口移転の是非を問うアンケート調査を実施。西口移転は「良いと思う」が55%で、半数以上が肯定的に受け止めていると発表した。同四月には市庁舎建設準備室を設置。市民調査結果を前提に、二〇〇九年度中に基本構想を策定する段取りで検討を進めている。

 一方、議員の中には「西口移転を前提にしたアンケート方法に問題がある」との声もあり、議会は昨年三月、「市庁舎建設特別委員会」(久保啓一委員長)を設置。耐震性や老朽化など現庁舎の問題点を洗い出すとともに、現庁舎の改築と場所の選定を含めた新庁舎建設の二つのケースについて、メリットとデメリットを検討する方針だ。

 移転構想の予定地は敷地面積約八千三百平方メートル。一九六九年に元少年刑務所の跡地を国から土地区画整理事業用として収得した土地の一部で、八八年から市営の無料駐輪場になっている。約四十年前の庁舎建て替えの際も候補地に挙げられており、駅西口への移転は“古くて新しい問題”といえる。

 ただ、「九二年に設置した庁舎建設基金は同年に五億円を積んだだけ。庁舎建設は実費の半分の基金がなければ将来の市民に負担を残すとされており、財政上は非常に厳しい」と指摘する関係者も少なくない。拙速気味に表明された庁舎移転構想だが、実現には財政面の裏付けが鍵を握っている。

2009年1月9日金曜日

県内の初詣で客443万人

 2009年1月8日(木)埼玉新聞を抜粋編集

 今年もアニメ効果は抜群だった。正月三が日に鷲宮神社(北葛飾郡鷲宮町)へ初詣でに出掛けた人は、過去最多三十万人を記録した昨年よりも十二万人多い四十二万人だったことが七日、県警のまとめで分かった。また県内の主な神社・仏閣への参拝客も昨年より四十一万人増の四百四十三万人で、この十年で最も多かった。

 鷲宮神社人気の陰に隠れてはいるが、高麗神社(日高市)も十八万人で昨年より五万人増えた。韓流ブームの火付け役、人気俳優ペ・ヨンジュンさんが、かつて朝鮮半島で栄えた高句麗を舞台にした人気時代劇の主役を演じていることから、縁のある高麗神社の人気が高まったとみられる。

 そのほか大宮氷川神社(さいたま市大宮区)は昨年より二万人多い二百五万人で県内最多。箭弓稲荷神社(東松山市)も二万人増の二三・五万人が訪れた。

 三月三十日スタートのNHK朝の連続テレビ小説「つばさ」で舞台となる川越市にある喜多院も、七千人増で四十二万人の参拝客が訪れた。

参拝客5万人以上の県内神社仏閣

▽大宮氷川神社(さいたま市大宮区)205万人
▽喜多院(川越市)42万人
▽鷲宮神社(鷲宮町)42万人
▽箭弓稲荷神社(東松山市)23・5万人
▽調神社(さいたま市浦和区)18万人
▽高麗神社(日高市)18万人
▽川越氷川神社(川越市)17万人
▽久伊豆神社(越谷市)14万人
▽神明社(所沢市)13・5万人
▽金鑽神社・同大師(神川町)9・3万人
▽宝登山神社(長瀞町)7・2万人
▽秩父神社(秩父市)5・2万人
▽石戸厄除両大師(北本市)5万人 。

2009年1月8日木曜日

高萩飛行場を後世に 先人の苦労刻み記念碑 日高市

 2009年1月5日(月)埼玉新聞を抜粋編集
 
 日高市旭ケ丘地主会(横田八郎会長)は、同地区の旭ケ丘神社前に「高萩飛行場跡」の記念碑を建立した。

 同地域は一九三〇年、全国からの入植者で創設された耕地整理組合の手で山林開拓が行われた。しかし、旧陸軍に接収され、三八年十二月から終戦の四五年二月にかけて陸軍航空士官学校(入間市)の「高萩飛行場」として士官学校生の飛行練習に使用されていた。

 記念碑によると、「高萩飛行場」は東西千七百メートル、南北千三百メートル、面積約二百二十ヘクタールで、本部舎、兵舎二棟、格納庫四棟、機材庫、講堂、将校下士官用控え室などがあり、通称赤トンボと呼ばれた「95式練習機」が飛行練習に使われた。