箭弓稲荷神社 東松山市 <この街に生きる
(2009年5月12日 読売新聞を抜粋編集
東松山駅西口から、南西に50メートルほど歩くと、高さ約8メートルの鳥居が視界に飛び込んでくる。その下をくぐり石畳の道を抜けると、地元では「やきゅうさま」と親しまれている箭弓(やきゅう)稲荷神社にたどり着く。
社記によると、箭弓稲荷神社は712年(和銅5年)の創建。当時は、「野久」や「矢久稲荷」と呼ばれていたという。約300年後の平安時代中期、下総国(千葉、茨城両県の一部)で城主・平忠常が謀反を起こし、朝廷は追討の任に源頼信(968~1048年)をあたらせた。頼信は野久が原に本陣を張り、近くに神をまつる古いほこらを発見、野久はすなわち箭弓(矢弓)に通じ、武門の神であるとして祈願したところ、頼信軍が戦に勝利。帰陣した頼信は社殿を再建し、以後、社名を箭弓稲荷と呼ぶようになったと言われる。
こうした歴史的背景から、戦前・戦中を通じ、同神社には戦勝祈願に訪れる参拝者が多かった。
近年の参拝を巡るキーワードは「野球」だ。語呂合わせから、小中高の選手から埼玉西武ライオンズのプロまで、毎年、祈願申し込みがある。県立滑川総合高校出身の阪神・久保田智之投手、楽天の野村克也監督らは常連の参拝客としても知られている。