2009年1月31日土曜日

やきとりじいさん体操 東松山市

2009年1月31日Yahoo!新語探検を抜粋編集

日本各地で「焼き鳥」でまちおこしをしようという気運が高まっている。2006年1月には「焼き鳥の街」として売り出している
  室蘭、福島、東松山、今治、久留米
の5つの市の代表者が集まって、「全国やきとり連絡協議会」を設立。同年11月には美唄と長門も参加している。福島市ではシンガーソングライターのもりたかしの『やきとりじいさん』をキャンペーンソングとして採用。

この歌に合わせて福島県在住の体操教室主宰・岡田麻紀が考えたのが「やきとりじいさん体操」である。

手を上げて背筋を伸ばし体をひねる「串刺しのポーズ」や、手をネギに、もう一方の足を鶏肉に見立てて片足で立つ「ネギマのポーズ」など、焼き鳥にちなんだ動きが随所に入れられている。福島県の各地のイベントなどで行われている。

坂戸市塚越 大宮住吉神社で豆まき 2月3日5時から

坂戸市観光協会

2009年1月30日金曜日

「成功する女たち」出版 埼玉同友会

 2009年1月17日(土)埼玉新聞を抜粋編集

 埼玉中小企業家同友会(新井俊雄代表理事)の女性経営者クラブ「ファム」は、さいたま市大宮区のラ・フォーレ清水園で「成功する女たち~埼玉の女性企業家19+1~」の出版記念パーティーを開き、本に登場する女性経営者や関係者など八十人が参加し出版を祝った。

 「ファム」の久賀きよ江委員長は「かかわった全ての人に感謝したい」とあいさつ。来賓の岡島敦子県副知事は「感動的な内容で二回も読み直しました。多くの女性に読んでほしい」と期待を寄せた。

 同書は「ファム」のメンバー十九人の体験をそれぞれの立場で語った内容。歩んできた生き様を伝えることで、起業を目指している女性たちにエールを送り、壁に突き当たったときのノウハウを提供する意図で出版した。

高麗鍋でコンテスト 2月8日 日高市

 2009年1月27日(火)埼玉新聞を抜粋編集
 
日高市の新名物「高麗鍋」コンテストが、同市商工会の主催で二月八日正午から同市新堀の高麗神社を会場に行われ、十五チームが参加して競われる。

 高麗鍋は、二〇一六年の高麗郡建郡千三百年記念祭に向けて高麗神社と市内の飲食・食品関係者が考案したもの。地場産のニンジン、ゴボウ、大根、シイタケ、白菜、水菜、豆腐、コンニャク、豚肉、キムチなどを煮込み、味噌、醤油、酒、牛乳などで味付けしたもので、キムチの辛さとまろやかな味噌の風味が食欲をそそると好評。

 コンテストには、市民または主に市民で構成する各種のグループ三人~五人前後の十五チームが出場。各チームには同市商工会が食材購入費として一チーム当たり一万五千円を事前に払い、当日、百五十食分の量を用意してもらって、市民に提供することになっている。

2009年1月28日水曜日

“ビッグ”り大満足 滑川でイチゴ狩り

 2009年1月27日(火)埼玉新聞を抜粋編集
 
 滑川町福田の谷津の里いちご農園で30分食べ放題のイチゴ狩りが開園した。
 品種は甘味の中に適度な酸味がある新品種「紅ほっぺ」と、さわやかな甘さを持つ「章姫」。全長7、8センチのイチゴもあり、関係者は「紅ほっぺはとちおとめに慣れた関東の人にも満足してもらえるはず」とPRしている。

 同農園は高さ約1メートルの「高設栽培」で育てているのが特徴。
 イチゴ狩りは5月まで。直売もある。問い合わせは、谷津の里(TEL0493・56・5055)へ。

街中に昭和再現 寄居  うどん、おでん屋台並ぶ

2009年1月27日 読売新聞を抜粋編集

 屋根から突き出たタワーの上に懐かしいオート三輪、店の中には屋台がずらり――。寄居町の中心街に、内外装を昭和30年代のイメージで固めたテーマパーク「ふるさと屋台村よろし市場」が登場し、若い人やお年寄りなどの人気を集めている。地産地消をモットーに、街おこしにも一役買いそうだ。

 「寄居」「ローカル(地域)」「支援」の頭文字から名付けた「よろし市場」。広さ約200坪の店内には昭和30~50年代の音楽が流れ、うどんやおでん、焼き鳥など7台の屋台が並ぶ。駄菓子屋や射的場、ピンボール台など懐古趣味のオンパレード。食材はいずれも協力を得た近隣農家から購入したものばかり。肉汁うどんの大500円、小400円、すいとんが500円など、手軽な値段も人気の秘密だ。

 社長を務めるのは建設業を営む斎藤享弘さん(46)。「色んな食べ物を1か所で食べる場所を作りたい」と、大型薬局が撤退して空いた店舗を、屋台村に作り替えることを思いついた。地元商工会の協力に加え、都内などで「昭和」をテーマとした街づくりを手がけるプロデューサーの久保浩さんを迎えて、店舗作りを始めた。

 内装は、寄居町内でのドラマロケに使われた家屋の一部を屋台に組み込んだほか、廃業したパチンコ店のネオンやイス、カウンターなどを再利用。かつて銭湯などで目にした牛乳の自動販売機なども置き、高度経済成長期の雰囲気を醸し出した。

 斎藤さんの娘、佑紀さん(26)が市場長を務めるほか、約20人の従業員は寄居町の住民ばかり。斎藤さんは「お客さんたちと作り上げるテーマパークでありたい」という。今後、ベーゴマ大会などのイベントも企画している。

 祝日を除く水曜定休。営業時間は午前11時~午後10時。問い合わせは、よろし市場(048・586・0008)。

2009年1月26日月曜日

川越城を視覚 仮囲いにグラフィック

 2009年1月26日(月)埼玉新聞を抜粋編集
 
 江戸時代末期の1848年(嘉永元年)に川越藩主松平斉典(なりつね)が建造したとされる県指定の有形文化財「川越城本丸御殿」の保存修理工事現場の仮囲いに、同御殿に関する絵図や写真などのグラフィックシートを川越市が設置した。

 グラフィックシートは、江戸図屏風(びょうぶに描かれている川越城の絵と川越城の図)、本丸住居絵図のほか、修理前の本丸御殿の内観などの写真約15点と解説など。高さ三㍍の囲いに幅約40㍍のシートを設置した。

 川越城は1457年(長禄元年)に太田道真、道灌親子が築城。江戸時代に川越藩主松平信綱が拡張した。1846(弘化三)年に二の丸御殿が焼失したが、2年後、斉典が本丸御殿を再建した。庁舎(明治期)や武道場(昭和期)として使われ、1968年から一般公開されている。

 本格的な保存工事は約40年ぶりで、工期は11年2月までの約2年四カ月間。グラフィックシートは10年末まで設置するという。

川越市長に川合善明氏 「変革」訴え初当選

 2009年1月26日(月)埼玉新聞を抜粋編集
 
 川越市長選は無所属の新人で、前市長の故川合喜一氏の次男で弁護士の川合善明氏(58)=自民、民主、公明推薦、社民支持=が、同じく無所属の新人で前副市長の細田照文氏(68)を破り、初当選を果たした。市議会最大会派の議員らが分裂して両陣営を支援するなど市内の保守層を二分した選挙戦は怪文書が飛び交うなど激しいデッドヒートを繰り広げたが、舟橋市政の刷新を訴えた川合氏が保守層や無党派層を含め幅広い支持を取り付け、細田氏を振り切った。

 川合氏は保守政党や医師会など市内約二百五十団体の推薦を取り付け、地元選出県議や市議二十四人の支援を受けるなど組織的な選挙戦を展開。「変えよう川越」をスローガンに市政の刷新を訴え、取りこぼしなく支持層を拡大するとともに、無党派層への浸透を図った。

 今期限りの勇退を決めた舟橋功一市長(76)=四期=の後継指名を受けた細田氏は長年の市職員と副市長の実績を武器に「舟橋市政の継承と発展」を訴え、支持者を固めるとともに、「市民が主役の市民党」を標榜(ひょうぼう)し、無党派層の取り込みを狙ったが、いま一歩及ばなかった。

 当日の有権者数は、二十六万九千四百九十人(男十三万五千百三十五人、女十三万四千三百五十五人)。市長選の投票者数は九万八千三百八十九人(男四万八千七百十一人、女四万九千六百七十八人)。投票率は36・51%(男36・05%、女36・98%)で、過去最低だった前回(二〇〇五年)の32・10%を4・41ポイント上回った。

川合 善明氏

 【略歴】《1》弁護士《2》川越市選挙管理委員長、東京弁護士会副会長《3》早稲田大学政経学部《4》川越市《5》川越市松郷

 【公約】《1》行財政改革《2》小、中学校の耐震化補強《3》地域医療体制の整備《4》交通渋滞解消などまちづくりの推進《5》子育て支援と少子化対策

2009年1月25日日曜日

渋沢栄一賞にヤオコー川野幸夫氏ら3氏 

2009.1.14産経新聞を抜粋編集

 優秀な業績を上げ社会に貢献した全国の企業や経営者を埼玉県が表彰する「渋沢栄一賞」の第7回受賞者に、事務用品製造販売の日本理化学工業(川崎市)会長の大山泰弘氏(76)▽小売業ヤオコー(川越市)会長の川野幸夫氏(66)▽缶詰やレトルト食品製造のはごろもフーズ(静岡市)顧問、後藤磯吉氏(89)の3人が決まった。

 大山氏は、粉が飛び散らないチョークで国内シェアトップを誇り、全従業員のうち7割を超える55人の障害者を雇用していることなどが評価された。

 川野氏は、スーパー「ヤオコー」を展開して19年間増収増益を達成し、小児医療研究の分野に20年にわたり助成を続けていることなどが受賞理由。

 また、後藤氏は、自ら開発した「シーチキン」でツナ缶詰の国内シェアトップとなり、静岡県の教育研究機関へ助成を続けてきたことなどが認められた。

産学連携で観光マップ 武銀と立教大

 2009年1月24日(土)埼玉新聞を抜粋編集
 
 第一弾は〝宿場町〟幸手

 県内の観光活性化に貢献しようと、武蔵野銀行と立教大学は、幸手市の観光マップ「幸手まち歩きマップ~ぶらって幸手」を作製し、同行本支店や県庁、幸手市役所、東武鉄道の県内各駅などに配布している。

 同行は〇七年七月、地域活性化を目的に、立教大と産学連携協定を締結。新座キャンパスにある観光学部と連携し、「埼玉 地域交流フットパスプロジェクト」を立ち上げた。幸手観光マップは活動の第一弾。幸手市は日光街道の宿場町として栄え、今でも江戸の風情や昭和の面影が残っていることから選定。

 観光学部の学生が中心となって企画や現地調査を行い、村上和夫、松村公明両教授からアドバイスを受けて作成した。同行ホームページからもダウンロードできる。

2009年1月23日金曜日

不況 人材獲得の好機 農林業で求人ラッシュ

 2009年1月18日(日)埼玉新聞を抜粋編集
 
 派遣切りなどによる失業者が急増する中、後継者不足が続いていた農林水産業の求人がラッシュ状態だ。不況を人材獲得の好機とする狙いで、農林水産省によると、埼玉県関係の求人は農業十九人、林業二十三人の計四十二人。農業法人や森林組合、水産会社などの求人は全国で千八百人を突破し、応募の問い合わせも二千件近く。「近年、これだけ農林水産業への就職に関心が集まったことはない」(農水省幹部)として、国や自治体、業界団体は相談窓口設置や研修支援など就労を応援する取り組みを強化している。

 農水省が業界団体から集約した今月十六日現在の全国の農林水産業求人数は計千八百十人。求人の急増を受けて実態を把握しようと急きょまとめたもので、内訳は農業関係が八百三十三人、林業が七百八十二人、漁業が百九十五人だった。

 各地の就労相談会も盛況だ。「仕事がきつく、景気の良いときは見向きもされない」(全国森林組合連合会)といわれた林業が脚光を浴び、同連合会が九、十日に大阪で開いた説明会には千七百人が来場した。埼玉県が十六日にさいたま市内で開いた就農支援セミナーも約二十人の定員が満員。二月開催分は定員を増やす。

おがわ仙覚万葉まつり 気分は平安時代

 2009年1月22日(木)埼玉新聞を抜粋編集

 鎌倉時代に日本初の本格的な万葉集解説書「万葉集注釈」を著した仙覚律師をもっと多くの人に知ってもらおうと「おがわ仙覚万葉まつり」が小川町で開かれた。ウオーキングや古代米でつくった万葉粥(かゆ)試食会、小川和紙で作った平安装束の試着会など多彩な催しが行われた。

 万葉集は、大化の改新から古代国家が建設された奈良時代にまとめられた日本最古の歌集。皇族から貴族、僧侶、農民まで広い階層の歌が収められている。仙覚は、比企一族が滅亡した一二〇三年に常陸の国(茨城)で生まれ、母は比企能員(よしかず)の内妻とされている。

 僧侶であった仙覚は、平安時代にはすでに、漢字の音を文字で表す万葉仮名が読めなくなっていた万葉集の研究を十三歳の時から志した。漢字のすぐ脇にカタカナで訓を書き記す手法で一首もあまさず訓点をつけた。その「万葉集注釈」(仙覚抄)を完成した場所が、現在の小川町(麻師宇郷)という。

2009年1月20日火曜日

川越市長選告示 現市政めぐり一騎打ち

 2009年1月19日(月)埼玉新聞を抜粋編集

 任期満了に伴う川越市長選が十八日、告示された。前市長の故・川合喜一氏の次男で、弁護士の川合善明氏(58)=自民、民主、公明推薦、社民支持=と前副市長で、財団法人理事長の細田照文氏(68)のいずれも無所属の新人二人が立候補を届け出た。今期限りの勇退を決めた舟橋功一市長(76)=四期=の後継指名を受けて、「舟橋市政の継承と発展」を訴える細田候補に対して、川合候補は「変えよう川越」をスローガンに舟橋市政からの変化を訴える。市政のかじ取り役の継続か刷新か。市内の保守層を二分する一騎打ちがスタートした。

 川合候補は「このままでは基盤整備が遅れ、地盤沈下する」と市政の現状を指摘するとともに、「行財政改革を進めた上で、福祉や道路、子育て支援など本当に必要な事業に取り組む。情報公開を進め、市民にとって何が必要なのかを判断して政策を進めたい」と第一声を放った。

 細田候補は「市職員と副市長などを経験し、県や国へのパイプがある」などと長年の行政上の実績を強調。その上で「教育、環境、観光、福祉などさまざまな課題への公約は市民の意見を聞きながら必ず実行し、『住んで良かった』から『住みたくなる』街づくりを目指す」と力を込めた。

 今回は現職が後継指名した細田候補の対抗馬に自民、公明と民主が相乗りする構図。市議三十九人中二十四人が川合候補への支援を表明している一方、細田候補は「市民党」を名乗る選挙戦を展開する。

 舟橋市長が約四百票のきん差で中野清氏(現・自民党衆議院議員)を破り、初当選を果たした十六年前と同様に、市内の保守層を二分する激戦となるのは必至だ。組織の上滑りの防止を図り、基礎票を取りこぼさず、無党派層をどれだけ取り込めるかが明暗を分けそうだ。

 市長選と市議補選の投票はいずれも二十五日午前七時から午後八時まで、大東南公民館など市内五十六カ所で行われ、同午後九時から川越運動公園総合体育館で即日開票される。両選挙の大勢は午後十一時ごろに判明する見込み。

 有権者数は十七日現在、二十七万二千五十九人(男十三万六千四百九十三人、女十三万五千五百六十六人)。

板碑(いたび)に見る中世の姿 嵐山で企画展 

 2009年1月17日(土)埼玉新聞を抜粋編集

 嵐山町菅谷の県立嵐山史跡の博物館で、中世の板碑約九十点を通して人々の信仰や営みを探る企画展「板碑が語る中世~造立とその背景~」が行われている。

 板碑は石製の供養塔。県内に造立された板碑の数は日本一を誇り、材料に緑泥片岩(青石)という石材が使われていることも特徴の一つ。

 熊谷市にある嘉禄三(一二二七)年銘の整形板碑は起年銘のある日本最古。東松山市大谷地区で見つかった阿弥陀三尊の図像板碑は今回が初公開で、上部は失われているものの大型板碑と推定されている。

 また、板碑の未完成品が発見されたことで板碑石材の加工作業が実証された小川町下里地区の板碑石材採石遺跡なども紹介している。

2009年1月17日土曜日

町民の手作りスケート場 ときがわ

2009年1月15日(木)埼玉新聞を抜粋編集
 
 ときがわ町民の手づくりの天然氷のスケート場が昨年末オープンし、町内の小学生らのスケート教室などに利用されている。土・日・祝日(午前9時~午後4時)には、一般にも開放されている。

 天然氷のスケートリンクのため氷が溶けるまで二月上旬ごろまでの営業となる。

 同スケート場は、三十四年前の一九七五(昭和五十)年、当時の体協役員らが行政にアイススケート場開設を進言。スポーツ少年団の子どもらなどが奉仕作業して土地を開拓した。一九七七(同五十二)年に天然リンクが完成。スケート関係者のボランティアで一九八五(同六十)年にリンクの隣に山小屋風の管理棟を建設し、ほぼ、現在の形が出来上がった。まさに「町民の手作りスケート場」というのにふさわしい歴史を持っている。

 交通は、ときがわ町代替バス・竹の谷行「正法寺入口」バス停下車徒歩五分。

2009年1月15日木曜日

毛呂山町観光案内

毛呂山町観光案内 毛呂山町
  • 町の北西部は、埼玉県立 黒山自然公園
  • 西部地域を覆う山々は奥武蔵の山並みから、毛呂川や 大谷木川、阿諏訪川などの清流として流れています。
  • その山すそにひっそりとたたずむ「鎌北湖」は、春は桜、初夏の深緑、秋の紅葉など四季を映し出す 美しい湖です。また、ヘラブナ釣りのメッカとして有名な箕和田湖は、休日には多くの釣り人で賑わいます。

2009年1月12日月曜日

「書道」ブームの兆し 県立松山女子高校

2009.1.10産経新聞を抜粋編集

 書道ブームの兆しが表れている。減り続けてきた書道人口が4年ぶりに増加。幅広い活動で高校の書道部がテレビ出演を果たしたほか、書道教育特区を設置した自治体も登場し、書道を題材にした漫画も人気を集めている。(森本昌彦)
 財団法人社会経済生産性本部がまとめた「レジャー白書2008」では、平成19年の書道の参加人口は390万人で、前年から70万人増加した。ピーク時の820万人には及ばないが、4年ぶりに増加に転じた。

 「ブームを象徴する大きな出来事があったわけではないが、書道を楽しむ幅が広がっているのでは」。同本部余暇総研の主任研究員、柳田尚也さん(41)は、こうみている。

 部員数44人の大所帯を誇る埼玉県東松山市の県立松山女子高校。顧問を務める教諭の石原裕子さん(48)が赴任した8年前の部員は、わずか7人だった。

 部員が増えた理由は、実績と、パフォーマンスの存在だという。かな文字を中心に練習を重ね、「書の甲子園」として知られる国際高校生選抜書展の北関東ブロックで4年連続優勝。音楽に合わせ、巨大な用紙に歌詞を書くパフォーマンスはもともと部員集めのために始めたが、今ではテレビ出演を果たすほど人気を集めている。

 練習は運動部並みに厳しい。朝練に始まり、昼休みはミーティング、夜も7~8時まで自主練。大会前の合宿は連日、ほぼ徹夜だという。それでも、部長の小久保友貴さん(17)は「書いていると、いつの間にか朝になっている」と夢中だ。

川越市長選直前 市政の課題を追う[上]

 2009年1月11日(日)埼玉新聞を抜粋編集
突然の構想に波紋 庁舎移転 財政裏付け鍵

 任期満了に伴う川越市長選挙は十八日告示、二十五日投開票される。今期限りで勇退を決めた舟橋功一市長(76)=四期=が後継指名した元副市長で財団法人理事長の細田照文氏(68)と、前市長の故・川合喜一氏の次男で弁護士の川合善明氏(58)が出馬を表明しており、新人二人による一騎打ちとなる公算が大きい。市民の関心を集めているのは、舟橋市長が打ち出した川越駅西口への市庁舎移転構想が実現できるかどうか。また、今年三月から放映されるNHK朝の連続テレビ小説「つばさ」を控えて観光客の急増が予想される中、蔵造りの民家が並ぶ一番街をはじめ市街地の交通渋滞緩和策や駐車場対策など環境整備をどう進めるのか。告示前に市政の主な課題を探った。

 「市長。壇上に乗ってください」。議場の市長席で独り言のように何かつぶやく舟橋市長に、議長が促した。舟橋市長は登壇し答弁したが、「暫定休憩して執行部に整理させろ」と野次が飛び交い、議場は騒然となった。結局、答弁途中で議会は中断され、舟橋市長はその夜、狭山市内の病院に緊急入院した。

 昨年九月、川越市議会の一般質問での出来事。市庁舎移転に関する舟橋市長の発言をめぐり、修正や訂正などを求める中原秀久市議に対して、かみ合わない答弁が続いていた最中だった。議会は翌々日、再開。副市長だった細田氏が市長答弁を代読し、取りあえず事態は収拾した。

 庁舎移転問題の発端は一昨年九月にさかのぼる。舟橋市長は議会の一般質問の答弁で「財政負担を抑えるため、JR川越駅西口前の市有地に上層階を住宅にした高層ビルの庁舎を建設したい」と庁舎移転構想をぶち上げた。関係者への根回しがなかったためか、市長の発言に議員をはじめ関係者に波紋が広がった。

 この構想に敏感に反応したのが、現庁舎のある旧市街地の自治会で組織する「十か町会」(十二自治会加盟、小川邦夫会長)。「現庁舎周辺の商店街がさびれ、川越駅周辺に交通渋滞が予想され混乱を招く」などを理由に昨年二月、庁舎移転に反対する意見書を市に提出している。

 市長の意向を受けて市は昨年二月から約一カ月にわたり、市民五千人を対象に西口移転の是非を問うアンケート調査を実施。西口移転は「良いと思う」が55%で、半数以上が肯定的に受け止めていると発表した。同四月には市庁舎建設準備室を設置。市民調査結果を前提に、二〇〇九年度中に基本構想を策定する段取りで検討を進めている。

 一方、議員の中には「西口移転を前提にしたアンケート方法に問題がある」との声もあり、議会は昨年三月、「市庁舎建設特別委員会」(久保啓一委員長)を設置。耐震性や老朽化など現庁舎の問題点を洗い出すとともに、現庁舎の改築と場所の選定を含めた新庁舎建設の二つのケースについて、メリットとデメリットを検討する方針だ。

 移転構想の予定地は敷地面積約八千三百平方メートル。一九六九年に元少年刑務所の跡地を国から土地区画整理事業用として収得した土地の一部で、八八年から市営の無料駐輪場になっている。約四十年前の庁舎建て替えの際も候補地に挙げられており、駅西口への移転は“古くて新しい問題”といえる。

 ただ、「九二年に設置した庁舎建設基金は同年に五億円を積んだだけ。庁舎建設は実費の半分の基金がなければ将来の市民に負担を残すとされており、財政上は非常に厳しい」と指摘する関係者も少なくない。拙速気味に表明された庁舎移転構想だが、実現には財政面の裏付けが鍵を握っている。

2009年1月9日金曜日

県内の初詣で客443万人

 2009年1月8日(木)埼玉新聞を抜粋編集

 今年もアニメ効果は抜群だった。正月三が日に鷲宮神社(北葛飾郡鷲宮町)へ初詣でに出掛けた人は、過去最多三十万人を記録した昨年よりも十二万人多い四十二万人だったことが七日、県警のまとめで分かった。また県内の主な神社・仏閣への参拝客も昨年より四十一万人増の四百四十三万人で、この十年で最も多かった。

 鷲宮神社人気の陰に隠れてはいるが、高麗神社(日高市)も十八万人で昨年より五万人増えた。韓流ブームの火付け役、人気俳優ペ・ヨンジュンさんが、かつて朝鮮半島で栄えた高句麗を舞台にした人気時代劇の主役を演じていることから、縁のある高麗神社の人気が高まったとみられる。

 そのほか大宮氷川神社(さいたま市大宮区)は昨年より二万人多い二百五万人で県内最多。箭弓稲荷神社(東松山市)も二万人増の二三・五万人が訪れた。

 三月三十日スタートのNHK朝の連続テレビ小説「つばさ」で舞台となる川越市にある喜多院も、七千人増で四十二万人の参拝客が訪れた。

参拝客5万人以上の県内神社仏閣

▽大宮氷川神社(さいたま市大宮区)205万人
▽喜多院(川越市)42万人
▽鷲宮神社(鷲宮町)42万人
▽箭弓稲荷神社(東松山市)23・5万人
▽調神社(さいたま市浦和区)18万人
▽高麗神社(日高市)18万人
▽川越氷川神社(川越市)17万人
▽久伊豆神社(越谷市)14万人
▽神明社(所沢市)13・5万人
▽金鑽神社・同大師(神川町)9・3万人
▽宝登山神社(長瀞町)7・2万人
▽秩父神社(秩父市)5・2万人
▽石戸厄除両大師(北本市)5万人 。

2009年1月8日木曜日

高萩飛行場を後世に 先人の苦労刻み記念碑 日高市

 2009年1月5日(月)埼玉新聞を抜粋編集
 
 日高市旭ケ丘地主会(横田八郎会長)は、同地区の旭ケ丘神社前に「高萩飛行場跡」の記念碑を建立した。

 同地域は一九三〇年、全国からの入植者で創設された耕地整理組合の手で山林開拓が行われた。しかし、旧陸軍に接収され、三八年十二月から終戦の四五年二月にかけて陸軍航空士官学校(入間市)の「高萩飛行場」として士官学校生の飛行練習に使用されていた。

 記念碑によると、「高萩飛行場」は東西千七百メートル、南北千三百メートル、面積約二百二十ヘクタールで、本部舎、兵舎二棟、格納庫四棟、機材庫、講堂、将校下士官用控え室などがあり、通称赤トンボと呼ばれた「95式練習機」が飛行練習に使われた。