幸手宿 幸手市<この街に生きる
2009年11月4日 読売新聞を抜粋編集
東武日光線幸手駅から南東に約350メートル行ったところに、志手橋(しでばし)という橋がある。ここから旧日光街道を北上し、聖福寺(しょうふくじ)付近に至る区間が、かつて幸手宿と呼ばれた宿場町だ。志手橋から南西約750メートルには、日光御成街道との合流点もあり、江戸時代には県内有数の宿場町としてにぎわったという。
幸手宿の南玄関・志手橋を渡ると、右手にひっそりとたたずむ旧家がある。宿場町の面影を今に伝える貴重な建物として、今年9月、国の文化審議会が有形文化財に登録するよう文部科学相に答申した「岸本家住宅主屋(しゅおく)」だ。かつてしょうゆ醸造業を営み、主屋の裏手には醸造所や作業場、蔵など約10棟が立ち並んだ。
歴史を生かした街づくりに思いを寄せるのは、旅館「あさよろず」の6代目主人、新井和博さん(59)も同じだ。館内には、伊藤博文や板垣退助の宿泊を記した当時の宿札や、「朝萬(あさよろず)」と書かれた創業間もない頃の看板を掲げ、宿場町の雰囲気を醸し出す。
徐々に新たなファンを集めつつあるのが、幸手宿北端に位置する聖福寺だ。近年、歴史を学ぶ観光客らがたびたび訪れるようになった。
同寺は江戸時代、歴代の将軍が日光社参をするたび、行き帰りで将軍の休憩所に使われた。今でも将軍専用の山門や位牌(いはい)などが残る。