2010年2月28日日曜日

2010年2月26日金曜日

“ネギ売り”が岩槻ねぎアピール

“ネギ売り”が岩槻ねぎアピール
2010.2.25 産経新聞を抜粋編集

 「ねぎやー、ねぎ。岩槻ねぎー!」。25日、てんびん棒を担いだ昔ながらの“ネギ売り”の声がさいたま市役所に響いた。

 声の主は、同市岩槻区の飲食店などでつくる「岩槻ねぎ倶楽部」のメンバー。地元産の「岩槻ねぎ」を提供する店舗を紹介した地図を作製、区内などで無料配布を始めたことを報告するため、市役所を訪れた。

 岩槻ねぎは柔らかく、甘みが強いのが特徴の青ネギ。生産量が少なく、「幻のネギ」とも呼ばれている。

 今回、岩槻ねぎ倶楽部が作製した地図は、岩槻ねぎを提供する18店舗を紹介した「ぶらり岩槻観光『ねぎわい』マップ」。1万5000部作製し、区内など約70カ所で無料配布している。

岩槻ねぎ倶楽部の長谷川芳雄代表(60)は「『ねぎらい』と『にぎわい』の心を込めて『ねぎわいマップ』と名付けました」と話していた。

2010年2月25日木曜日

秩父太平洋 普通セメント生産中止へ

秩父太平洋 普通セメント生産中止へ
2010年02月24日 朝日新聞を抜粋編集

 秩父市大野原の秩父太平洋セメント(倉田哲社長)が、2010年度の上期中に本社工場の普通セメントの生産を中止し、生産活動を大幅に縮小することが23日、明らかになった。同市と横瀬町の境界にある武甲山(1304メートル)の石灰石採掘事業は継続する。

 同社の前身の旧秩父セメントは、1923年に初代の諸井恒平社長が創立。25年に同市大宮に秩父第一工場、56年に第二工場を開設した。武甲山の豊富な石灰石を原料とするセメント製造を手がけ、23年の関東大震災後の復旧工事や戦後の首都圏の復興、高度成長期に生産を伸ばした。衰退する絹織物に代わる地場産業として秩父の経済を支えてきた。

 同市の計算では、秩父太平洋セメントや同社従業員が1998~2009年に市に支払った固定資産税や市民税は計45億円で、市内ではトップクラス。運送会社など同社関連会社は14社になる。

 しかし、セメント事業の低迷により、1999年に秩父第一工場は撤退。旧秩父セメントは合併し、94年に秩父小野田セメント、98年には秩父太平洋セメントとなり、2000年には分社して秩父太平洋セメントとなった。

 一方で、原料の石灰石を採掘する武甲山は姿を大きく変えてきた。武甲山は市民にとって「秩父夜祭の神が宿る山」であり、シンボルでもある。山の「破壊」を目の当たりにしながらも、雇用や税収増などのセメント事業の「地元への貢献」を理由に、市民は我慢を強いられてきた。

2010年2月24日水曜日

映画・のぼうの城 観光の起爆剤に 行田市

映画・のぼうの城 観光の起爆剤に 行田市
2010年2月23日 読売新聞を抜粋編集

 行田市は、市内の忍城(おしじょう)を舞台とする和田竜さんのベストセラー歴史小説「のぼうの城」(小学館)の映画化を観光の起爆剤にしようと、映画のPRや観光客の集客態勢の整備に乗り出した。

 「のぼうの城」は、戦国末期に豊臣秀吉が関東の北条氏攻めを行った際、でくの坊の「のぼう様」と呼ばれた忍城城代・成田長親(ながちか)らが、石田三成らの2万余りの軍勢による水攻めに耐え、北条氏の拠点・小田原城の陥落まで城を守り抜いた攻防戦を描く。2007年の発表後、36万部のベストセラーとなり、昨年、映画化も決まった。

2010年2月21日日曜日

香りはクリ 食感サツマイモ ときがわ町産アピオス

香りはクリ 食感サツマイモ ときがわ町産アピオス
2010年2月14日(日) 埼玉新聞を抜粋編集

北アメリカ原産のマメ科のつる性植物で食物繊維やカルシウム、鉄分を豊富に含むアピオスが無農薬でも作れる健康野菜として最近、注目されている。ときがわ町では町内2カ所の農産物直売所で3月中旬ごろまでの販売を予定していたが、予想を上回る人気で、ほぼ完売状態。新しい特産品として町では来シーズンに合わせて通信販売の準備を開始した。4月からの販売に向けてアイスクリームも試作中だ。

和名はアメリカホドイモ。香りはクリ、食感はサツマイモ、味はナッツに似ている。地下茎が数珠状に肥大化した塊根を食べる。栄養価が高くジャガイモと比べてカルシウムは約30倍、鉄分は約4倍。繊維はサツマイモの3倍。イモ類に含まれないビタミンEとイソフラボンを含んでいることも特徴だ。

ゆでたり、魚や肉と一緒にホイル焼きで食べる。みそ汁や茶わん蒸し、カレーライスの具にも適している。そのまま揚げて食べてもおいしい。皮の栄養価が高いため、皮をむかずに食べるのがコツ。

ぎょうざの満洲(坂戸市)「原価3割」守り成長

ぎょうざの満洲(坂戸市)「原価3割」守り成長
2010年2月19日  読売新聞を抜粋編集

「3割うまい」というユニークなキャッチフレーズで、ギョーザ中心の中華料理店を埼玉と東京で55店構え、成長を遂げている。

「3割」とは、売り上げに占める商品の原価の割合のこと。普通、売り上げが伸びれば大量仕入れで原価は下がり、会社の利益がその分アップする。しかし、池野谷ひろみ社長(47)は、あえて具材を値段の高い国産に切り替えるなどして、原価3割の水準を守ってきた。

売り上げ増で味と質を高め、また売り上げを伸ばす――。このサイクルが「3割うまい」だ。

ギョーザのタネは、すべて国産。ニンニクは昨年、中国産から変更した。キャベツは季節ごとに産地を変え、委託農家から朝取りが届く。豚肉は解体1週間以内の生肉を使い、新鮮で臭みもない。「しょうゆや酢をつけなくてもおいしい」というのが自慢だ。

おいしさの秘密は皮にもある。同社によると、市販の皮は、皮同士がくっつかないように水分量を35%前後に抑えているという。同社は独自の製造法で水分量を50%に増やし、ジューシーで、モチモチした食感を味わえるようにした。

製造時間は、キャベツの洗浄から焼き上がりまで約40分。毎日午前3時に製造を始め、開店の午前11時には全店に発送する。1日で約30万個を製造し、消費期限は当日に限定。鮮度にこだわり、直営店は坂戸工場から車で1時間半の圏内と決めている。最近は、店頭販売や宅配も好調。池野谷社長は「おいしいギョーザで人を幸せにしたい。売上高は前期比113%、100店出店が目標」と話す。

◆「満州の味」が原点

1964年創業。社名は、金子梅吉会長の兄が「戦前、満州(現中国東北部)で食べたギョーザの味が忘れられない」と話したのが由来。池野谷社長は金子会長の長女で、98年に就任した。マスコットの「ランちゃん」は社長がモデル。指を3本立てた姿は「うまい、安い、元気」を示す。年商は2009年6月期で約41億円。

2010年2月17日水曜日

のらぼう菜:新商品続々 比企地域の伝統野菜

のらぼう菜:新商品続々 比企地域の伝統野菜
2010年2月17日 毎日新聞を抜粋編集

 5年前に復活した比企地域の伝統野菜「のらぼう菜」が、この地域の春のグルメの定番に成長している。栽培農家が増え、収穫量が約20倍になるのにつれて、のらぼう菜を使った新商品が続々登場。農業と商業が一体となり町活性化にも一役買っている。

 のらぼう菜はアブラナ科の一種で、収穫時期は3~4月。甘みがあり、菜花類のような苦みや癖がないのが特徴だ。ビタミンCはホウレンソウの2倍と栄養価も高く、おひたしや天ぷら、炒め物にもよく合うという。

 寒さにも強く育てやすいことから、江戸時代に比企地域の農家が自家消費用に栽培していた。「天明・天保の飢饉(ききん)を救った野菜」と知られている。

 早くから商品開発に参加している小川町の「村田製菓店」の村田安夫さん(65)は「のらぼう菜を通じて異業種の人とも知り合いになれ、地域に一体感が生まれた。このつながりがもっと広がると思うとうれしい」と話し、さらなる商品開発に意欲満々。小川町商工会の小松仁さん(36)は「これまで小川町だけでの食べ歩きマップを作っていたが、ときがわ、嵐山町が加わったことで、マップを作り直さなければいけない」と話しつつ、うれしそうだ。

2010年2月12日金曜日

菖蒲町役場に本多静六の胸像

菖蒲町役場に本多静六の胸像
 2010年2月5日(金) 埼玉新聞を抜粋編集

 胸像部分は見栄えがするように実物大よりやや大きく、高さ60センチ、幅58センチ、奥行き33センチ。地面からの高さは約2メートル20センチ。

 本多静六(1866~1952年) 菖蒲町河原井生まれ。明治から昭和にかけ、日本の林学林業の発展の基礎を築いた。東京・日比谷公園や明治神宮、大宮公園(さいたま市)の設計を手がけた。旧大滝村に所有した山林を奨学金制度の実施を条件に埼玉県に寄付し、現在もこの制度は続いている。菖蒲町は1992年、偉業をたたえ名誉町民の称号を贈った。

2010年2月11日木曜日

川越駅前施設建設:県と市が対立 遅れ必至

川越駅前施設建設:県と市が対立 遅れ必至
毎日新聞を抜粋編集 2010年2月10日

 川越駅西口前に建設し、12年秋に開業予定だった「西部地域振興ふれあい拠点施設」(仮称)の建設方法を巡って、県と川越市の意見が対立している。県が先月、合意していた「PFI方式」からの変更を申し出たことに、市は「03年ごろから話し合ってきたことを突然変更するのは納得できない」と反発。双方とも来年度予算でのPFIの関連費用の計上を見送り、開業が遅れるのは必至だ。

 老朽化した県の地方庁舎や川越市民会館に替わる施設として、県と市が協力して建設する計画。県と市が計約296億円(08~32年度)を負担し、県が約1万2000平方メートル、市が約1万3000平方メートル、民間施設が約2万平方メートルそれぞれ入居する。県が「初期投資が少なくて済み、コストも下がる」と「PFI方式」での建設を提案、これに基づく協定を07年度に交わした。

 PFIは、公共団体の計画で民間業者が建設し、完成後も運営する。99年に法整備され、本格的に導入されるようになった。

 入札は08年に2度行った。最初は応募がなく、2回目に1企業グループが応札した。だが昨年6月にこのグループの中心企業が不祥事で指名停止処分となり、振り出しに戻ってしまった。

 県は「複数の大手ゼネコンに打診したが、不況で、負担が大きいPFIの公募に応じてくれる企業はなさそう」と判断。通常の入札方式への変更を1月に市に持ち掛けた。だが、市は「突然の方針転換には応じられない。再度、PFIで入札すべきだ。それで不調なら別の方法を検討する」と計画変更に応じていない。このため県は新年度当初予算案への設計費の計上を断念。市も同様に予算化を見送る方針だ。

県農大 鶴ヶ島から熊谷に移転

県農大 鶴ヶ島から熊谷に移転
 2010年2月10日(水) 埼玉新聞を抜粋編集

 農業の担い手を育成する県農業大学校(鶴ケ島市太田ケ谷)が熊谷市須賀広の県農林総合研究センター周辺地域に移転することが9日分かった。13年4月の開校を目指す。圏央道・鶴ケ島インターチェンジ(IC)に近い現在の敷地(県有地約40㌶)は「地域振興の可能性を秘める」(県幹部)として今後、同市と連携しながら移転後の有効活用を検討する。

 県農業大学校は1945年の開校以来、これまでに5279人の卒業生を輩出。平均就農率はここ10年間で54%(全国4位)と高く、埼玉農業を担う人材育成の基幹施設となっている。昨年7月現在で基本技術(野菜、花植木、酪農、特産)と高度技術両科に121人が学んでいる。

 移転案が浮上したのは一昨年7月、鶴ケ島市の藤縄善朗市長が上田清司知事に対し、大学校を含む鶴ケ島IC周辺の地域整備について県と市による新たな整備計画の策定を要望した。大学校は築43年を経過する校舎本館をはじめ温室や実験棟など施設の老朽化が進んでおり、こうした状況を踏まえ、県は本年度発足の庁内検討会で移転に向けた準備を進めてきた。

 現在の大学校は同ICから約5キロ、JR川越線笠幡駅から約2・5キロの地点にある。緑地空間を併せ持った産業基盤整備を支援する県の「田園都市産業ゾーン」、川越市を中心に商業施設や都市サービス機能の集積を見据えた「川越業務核都市基本構想」の対象エリアとなっており、移転後の跡地の有効活用が期待されている 。

岩槻観光タクシー ガイド役は運転手  

岩槻観光タクシー ガイド役は運転手  
 2010年2月10日(水) 埼玉新聞を抜粋編集

 岩槻観光委員会(冨永庄蔵委員長)は、「岩槻観光タクシー」を運行する。タクシーは岩槻の名所や旧跡を2時間30分かけて巡り、運転手がガイドを務める。

 城下町だった岩槻には岩槻城の鐘楼「時の鐘」や城址公園、坂東札所12番の慈恩寺観音、三蔵法師の霊骨が眠る玄奘(げんじょう)塔など、史跡が数多くある。しかし、多くは駅から歩いて行ける距離にない上、週末にはコミュニティバスが運行しておらず、自家用車がないと訪れにくいという。

 コースは、岩槻駅から時の鐘、慈恩寺、玄奘塔、岩槻城址公園、東玉人形の博物館。ガイドを務める運転手は事前に研修を受けるという。

 運賃は通常に回った場合の18%割り引きの1万2000円で、1台4人まで乗れる。事前予約制で毎日運行。5月から10月は月曜日休み。

 県内では秩父や飯能、小川町などで観光タクシーを運行しているが、県南部では初めて。

 申し込み、問い合わせは岩槻タクシー(0120・866・188)。

2010年2月8日月曜日

カエデ(大滝地区)」 秩父<この街に生きる

カエデ(大滝地区)」 秩父<この街に生きる
2006年6月20日 読売新聞を抜粋編集

秩父にとって〈カエデ〉は特別な木だ。2005年4月に合併した新市では「市の木」に指定された。紅葉の名所として知られる大滝地区(旧大滝村)では自生するカエデの保護のほか、地区住民が自主的にカエデの植樹に取り組む。

秩父湖付近の県道沿いには、1995年ごろから600本以上を植樹。

「大滝の紅葉は素晴らしい。これを売り物にしない理由はない」。そう意気込むのは、合併まで大滝村長を務めた市収入役の山口民弥さん(55)。03年から建設が始まった滝沢ダムで、湖底に沈む地域から国道140号沿いにカエデを移植した。

5月20日、群馬県境に近い中津川の山吹沢。杉やヒノキを伐採した県有地林に、ブナやミズナラを植林する県民約60人とともに、市民団体「カエデの森づくり推進協議会」(町田啓介会長)の会員も、カエデ210本を斜面に植えた。

冷温帯気候に属する秩父地域には、国内に自生するカエデ約25種類のほぼすべてが自生している。町田会長(53)らは、カエデを使った町おこしを思いたった。花粉症の原因となる杉を減らしてカエデを植えれば、観光にも役立つ。

04年2月、菓子店経営者らは山に入り、カエデの幹から透明でかすかに甘みのある樹液約60キロを採取した。樹液を50分の1に煮詰め、秩父産の上品な甘みのメープルシロップが初めて出来上がった。

「ポトポトと出てくる樹液を見て、それは驚いた」と和菓子店「中村屋」(東町)3代目の中村雅夫さん(39)は思い出す。「カエデの森を育ててお菓子を作り、その森で市民が楽しむ。そんな循環を作りたい」と夢見ている。

2010年2月6日土曜日

活性化「黒帯商店街」に15商店街

活性化「黒帯商店街」に15商店街
2010年2月5日(金) 埼玉新聞を抜粋編集

 県商業支援課は4日、2009年度の「黒おび商店街」の認定商店街に、毛呂山町の「ゆずの里商店街」など15商店街、「優良小売店」に、川口市のパン・洋菓子製造販売のデイジイになど8店を決めたと発表した。

 黒おび商店街の認定は、県内の商店街の活性化を目的に08年度から実施。3種類以上の共同事業を継続的に行っている元気な商店街を、柔道の黒帯に例えて表彰している。認定商店街は今回を含め74件に上る。

 ゆずの里商店街(岡部和雄会長)は、町の特産品であるユズを名前に付けて地域密着型の活動を展開。若者を中心に「桜まつり」や「秋まつり」を開催したり、地元小学生の絵を掲示した看板を店頭に置くなど、にぎわいの創出を図っている。

 優良小売店の制度は、県内商業の活性化を図ろうと05年度に発足。魅力ある店づくりや社会貢献活動に積極的な小売店を表彰している。受賞店は今回を含め25件。

 デイジイ(倉田博和社長)は品質の向上を重視し、従業員に技能検定の受験を積極的に推奨(1級技能検定有資格者は20人、2級は41人)。地元団体のイベントに商品を無償で提供するなど、地域貢献活動にも力を注いでいる。

 このほかの商店街とお店は次の通り。

 【黒おび商店街】

 合格通り商店会(川口市)、西川口並木商店会(同)、上野町商進会(秩父市)、番場商店街振興組合(同)、所沢銀座協同組合(所沢市)、飯能大通り商店街協同組合(飯能市)、桜台商店会(春日部市)、仲町商栄会(同)、アコス専門店会(草加市)、松原ハーモネスプラザ商店会(同)、大沢商店会(越谷市)、塚越商店会(蕨市)、仲町商工振興会(朝霞市)、よしかわラッピーカード会(吉川市)

 【優良小売店】

 ポンデザール(春日部市、パン・洋菓子製造販売)、西洋菓子ラ・パレット(深谷市、洋菓子製造販売)、足立屋酒店(蕨市、酒類小売)、きもの三京(戸田市、呉服小売)、アポロ(八潮市、玩具小売)、前澤屋(ときがわ町、和菓子製造販売)、矢島生花店(栗橋町、生花小売)

川越の東明寺 松本清張の『黒い空』の舞台

川越の東明寺 松本清張の『黒い空』の舞台
2010.2.2 産経新聞を抜粋編集

 埼玉県川越市の時宗の寺、東明寺は松本清張さんのミステリー小説「黒い空」の舞台だ。小説の冒頭、歴史講師が登場し、天文15(1546)年にこの東明寺付近で繰り広げられた山内、扇谷両上杉連合軍と、北条軍との凄惨(せいさん)な戦闘「川越夜戦」を解説する。

 連合軍は約8万騎で北条綱成がこもる川越城を包囲。そこに、北条氏康が8000騎の援軍を率いて駆けつけ、連合軍に夜襲を仕掛ける。数におごった連合軍は不意打ちで総崩れとなり、扇谷上杉家当主の朝定は戦死、山内上杉家当主の憲政は敗走を余儀なくされる。400年以上の時を超えた敗者の怨念(おんねん)は、現代の東京都八王子市郊外の結婚式場を舞台に殺人事件を引き起こす。

 東明寺は、川越市の蔵造りの街並みが続く旧市街をはずれ、北へ歩いた住宅街にひっそりとたたずむ。かつては広大だったという境内はこぢんまりとし、人ひとりいない静けさ。「川越夜戦跡」の石碑が立つことだけが、ここが激戦の中心であったことを伝える。

 川越市立博物館の天ケ島岳さんは「夜戦は江戸時代の創作で実際は日中の合戦だったようです」と、小説で語られる「史実」を否定する。ただ、数少ない史料や、江戸から明治期に合戦の戦死者とみられる数百体の人骨が東明寺から出ていることなどから、その後の関東の政局を変える大きな合戦がここで起きたことは間違いないという。

 川越は中世関東の軍事と物流の要衝で、北条支配時代の町づくりが小江戸と呼ばれる町の礎となった。しかし、こうした歴史に興味を持って川越を訪れる人は少ないようだ。東明寺から徒歩15分ほどの川越城跡地に建つ本丸御殿は江戸末期の造営。現在保存修理中で平成23年に公開が再開される。天ケ島さんは「公開を機に歴史ファンにも訪れてもらえれば」と期待していた。(門倉千賀子)

エコツーリズム先進地 飯能

エコツーリズム先進地 飯能
2010年02月04日(木) 埼玉新聞を抜粋編集
 
 飯能市は2004年環境省の「エコツーリズム推進モデル地区」に指定され、08年11月には第4回エコツーリズム大賞を受賞。昨年9月には、市民やNPO、事業者が一体となって地域全体でエコツーリズムを推進する体制ができたとして全国で第1号の「エコツーリズム推進全体構想」の認証を受けている。

 飯能市は、全域が環境省「全体構想」の指定区域。「東松山市環境まちづくりパートナー」の散策型ツアー班は市内を眺望できる天覧山(標高200㍍)を見学。また能仁寺の社寺林や十六羅漢像、貴重な動植物が生息する天覧入りの谷津、諏訪入りの谷津にも足を運んだ。



 

埼玉県の偉人で道徳教育 独自の資料集作成

埼玉県の偉人で道徳教育 独自の資料集作成
2010.2.3  産経新聞を抜粋編集

 埼玉県教育委員会は、県の偉人らを取り入れた独自の道徳教育教材資料集を作成し、さいたま市を除く県内すべての公立の小・中・高校で4月から活用させることを決めた。県内出身で日本初の女医、荻野吟子さんや、プロゴルファーの石川遼さんらの話題が詰まった資料集で、県教委生徒指導課は「身近に感じられる県ゆかりの偉人から、生き方を学んでほしい」と期待を寄せている。

贄川宿(旧荒川村)  秩父<この街に生きる

贄川宿(旧荒川村)  秩父<この街に生きる
2006年6月17日 読売新聞を抜粋編集

熊谷と甲府を結ぶ秩父往還の主要な宿場として、江戸時代からにぎわった奥秩父・荒川贄川(にえがわ)(旧荒川村)の〈贄川宿〉。国道140号から北に入った幅約4メートルの旧街道の両側に、趣のある木造家屋二十数軒が立ち並ぶ。

それぞれの家には、街道に面して縁側があった。付近の区長を務める新井亜起男さん(64)にとって、明かり取りのため開け放たれた縁側に老人が腰掛け、話に花を咲かせる姿はなじみのものだった。「子供にとっても格好の遊び場。色々な人が集まって来て、半ばパブリックな場所だった」と思い出す。

「昔ながらの町並みの懐かしさを多くの人に感じてもらいたい」。宮原茂仁さん(63)らも贄川宿保存会を結成して駐車場の確保などに協力した。

縁側展は、紅葉が始まる毎年11月第2週の週末に開催。この日ばかりは昔のように各戸の縁側の雨戸が開け放たれ、05年は約7000人が訪れた。小さな集落にとって、いまや最大のイベントだ。