権現堂堤 幸手市<この街に生きる
2009年11月11日 読売新聞を抜粋編集
幸手市北部を流れ、一部が茨城県との境界をなす中川。この川にかかる行幸橋から下流の南岸沿いに、約1キロにわたり続いているのが、権現堂堤(ごんげんどうつつみ)だ。春には約1000本の桜が咲き誇る桜並木があることから「桜堤」とも称され、県内有数の観光スポットとして知られる。
保存会や市によると、堤は、1576年、度重なる権現堂川の氾濫(はんらん)を防ぐために北条氏が築いたのが始まりという。だが、江戸から明治にかけ、幾度となく決壊。このため大正から昭和初期に、権現堂川の上流部と下流部の2か所が水門で閉め切られた。
堤には、風光明媚(めいび)な憩いの場としてだけでなく、江戸時代に「権現堂河岸」という舟運の拠点を備えて活況を呈した歴史もある。河岸から江戸へ年貢米などが送られる一方、江戸の珍しい品々や日用品が運び込まれ、幸手宿の発展にもつながった。