2009年12月26日土曜日

街の恋人 輝き再び 上尾市 <この街に生きる

街の恋人 輝き再び 上尾市 <この街に生きる
2008年12月20日 読売新聞を抜粋編集

明治政府発足から10年あまり、生糸を横浜港に運ぶため、上野駅からJR高崎線が群馬県高崎まで開通したのは1884年6月。その前年、熊谷までの仮営業の際に開設した六つの駅の一つが上尾駅だ。1969年、東口のみだった駅舎にようやく西口が出来た。アポロ11号が月面着陸し、東名高速道路が全線開通、実質12%の経済成長率に国民が沸いた年のこと。上尾市谷津や柏座地区に団地などが造成され、前年より人口が1万3489人も増えた。駅は都内へ通う人たちでにぎわいを見せる。

この年に当時としては珍しい、ショッピングセンター(SC)「上尾モンシェリー」が西口に開業した。複数の小売店舗が集まった斬新なスタイル。アイデアを出したのは、脱サラした起業家や駅東口の商店主ら20人たちだった。

さらなる活性化に向け、メンバーたちの話し合いも熱を帯びた。気持ち良く買い物をしてもらおうと、可動式のアーケードを設けた。アメリカ西海岸へ足を運び、上尾で生かせるような先進地の取り組みがないかを探った。馬車を運行したり、女性のダンサーを招いたハワイアンショーを手がけたり。ちびっ子のど自慢やミニSLの運行も企画した。アイドル歌手のステージショーを催した。出すアイデアがことごとくヒットした。

しかし、良いことばかりは続かない。1980年代を境に、街は「混迷期」を迎える。本格的な車社会の到来。消費者は一度に多様な買い物を楽しもうと利便性を追求するようになった。郊外に大型店が続々と現れ、逆風にさらされた2社が倒産し、街を去った。その後、売れ行きが伸びず、近くにオープンした大型商業施設内へ移転する仲間も現れた。

モンシェリーが産声を上げて今年で40周年。若い経営者たちが街の未来を切り開こうとしている。