2009年12月8日火曜日

丸木美術館 東松山 <この街に生きる

丸木美術館 東松山 <この街に生きる
2009年3月10日 読売新聞を抜粋編集

 東松山市南部を東西に流れる都幾(とき)川。この清流を背にした下唐子の小高い丘に「原爆の図 丸木美術館」が立つ。雑木林に囲まれ、鳥のさえずりも聞こえる自然豊かな地だ。今から約40年前、画家の丸木位里(いり)、俊(とし)夫妻が、ここにアトリエ兼住居を構え、作品を通じて反戦平和を訴え続けた。

 位里さんは1995年に94歳で、俊さんは2000年に87歳で亡くなったが、美術館の運営は、67年の開館翌年に発足した財団法人が担っている。約30年間、財団の理事を務めていた元東松山市教育長の田口弘さん(86)は「両先生は、自然に囲まれたこの場所を愛していた。だから地域に奉仕したいと、公共施設に作品も寄贈してくれた。どれも平和を訴えたもので、2人の意思は、この地で引き継がれています」と話す。

 位里さんは1901年、広島県飯室村(現広島市安佐北区)で生まれた。独学で日本画を学び、前衛的な画風を確立。41年に北海道秩父別町出身の洋画家・俊さんと結婚した。

 夫妻は45年8月6日、原爆が投下された直後の広島に入り、約1か月間、被災者の救援に携わった。このときに見た惨状を「原爆の図」(全15部。1部は縦1・8メートル×横7・2メートル)として、約30年間にわたって共同制作を続けた。

 夫妻が東松山市に移り住んだのは66年。翌年、自宅隣に美術館を開いた。度重なる増築を経て、現在は約1200平方メートルの展示面積に、「原爆の図」第1~14部など、計約100点を展示している。