2009年12月13日日曜日

世界企業ボッシュ 東松山市 <この街に生きる

世界企業ボッシュ
2009年4月7日 読売新聞を抜粋編集

世界大手のドイツの自動車部品メーカー「ボッシュ」の存在は、東松山市にとって大きい。敷地面積は16万3000平方メートルで、東京ドーム3・5個分。戦後の企業城下町としての市の発展を支え続け、産業が多様化した今でも、法人市民税収入の3割強を同社で占めている。

 前身のヂーゼル機器は、1939年(昭和14年)、ディーゼルエンジンに着目した旧日本陸軍の意向を踏まえ、誕生した。社長に就任した織田秀明さん(60)は、「工場建設の候補地はほかにもあったが、松山町の町長が『質実剛健の武蔵武士がそろっております』と提出した陳情書が効いたようです」と話す。

 旧陸軍は戦車用にディーゼルエンジンを必要としたが、技術的に高度で国産化が難しかったため、同盟関係にあったドイツのボッシュに頼っていた。そこで国産化を図ろうと、旧陸軍の意向を受け、創立されたのがヂーゼル機器だった。

 同社は軍需に頼っていたため、終戦直後、ほぼすべての社員が一度退職することに。しかし、自動車産業が復活の兆しを見せ始め、ヂーゼル機器もカーエアコンなどの製造に転じて業績を伸ばし始めると、60年に1000人程度だった社員は、高度経済成長に伴い、66年には5000人を超えた。地域行政にも貢献しようと、労働組合から東松山市議会に議員を2~3人送り出すようにもなった。

 ヂーゼル機器は、分割や合併を繰り返し、05年、ボッシュグループの日本法人「ボッシュ」となった。環境分野などで先端技術を開発し続け、世界で従業員27万人、売上高460億ユーロ(約6兆3000億円)の巨大グループの一員だ。