2009年1月8日木曜日

高萩飛行場を後世に 先人の苦労刻み記念碑 日高市

 2009年1月5日(月)埼玉新聞を抜粋編集
 
 日高市旭ケ丘地主会(横田八郎会長)は、同地区の旭ケ丘神社前に「高萩飛行場跡」の記念碑を建立した。

 同地域は一九三〇年、全国からの入植者で創設された耕地整理組合の手で山林開拓が行われた。しかし、旧陸軍に接収され、三八年十二月から終戦の四五年二月にかけて陸軍航空士官学校(入間市)の「高萩飛行場」として士官学校生の飛行練習に使用されていた。

 記念碑によると、「高萩飛行場」は東西千七百メートル、南北千三百メートル、面積約二百二十ヘクタールで、本部舎、兵舎二棟、格納庫四棟、機材庫、講堂、将校下士官用控え室などがあり、通称赤トンボと呼ばれた「95式練習機」が飛行練習に使われた。