2009年6月15日月曜日

河越茶:川越の豪族館跡、茶の栽培進む

6月12日 毎日新聞を抜粋編集

 鎌倉幕府の有力御家人だった河越氏が築いた川越市の館跡(国指定史跡)で、茶の植栽が進められている。一帯は中世、狭山茶の源といわれる「河越茶」の産地とされ、館跡から茶道具も出土し居住の武士らが茶を喫していたとみられる。市は史跡公園の整備を機に、館の歴史と合わせ、かつて全国に聞こえた河越茶をPRする。

 茶は平安時代初期に唐から伝わり、鎌倉時代には武士にも喫茶の習慣が広がったとされる。南北朝時代の正平元(1346)年ごろの書物「異制庭訓(ていきん)往来」で、館跡の一帯とみられる武蔵河越の地が、京都栂尾(とがのお)などに次ぐ全国の銘茶5場の一つに紹介された。

 市文化財保護課によると、植える茶は5種類。川越市内の農家で代々栽培されてきた在来種▽現在の全国的な茶の代表種「やぶきた」▽その改良種「さやまかおり」の3種類計1090株を今年3月、11月にオープン予定の館跡1期整備地(約1・3ヘクタール)の一角に花壇状などに植えた。

 さらに、国内の茶の発祥地とされる栂尾山高山寺(京都市)と日吉大社(大津市)から種を譲り受け、2年後の移植を目指しプランターで育てている。

 河越氏は平安時代末期~室町時代に館を構え、その後は関東管領の上杉氏が陣所を構えた。いずれも室町時代のものとみられる天目茶わんやお茶をたてる湯を沸かす「風炉(ふろ)」、茶うすが出土。上杉氏が所持した可能性が高いが、文化財保護課は「河越氏の時代には既に、武士や歌会などで訪れた僧らが喫茶していた可能性が強い」と推測する。

 市は、館跡で茶摘みや喫茶を楽しむイベントを行い、シンボルツリーとなる茶の大木を植えることなどを検討する予定。