謎解明の箱式石棺か 行田・埼玉古墳群
2010年3月26日(金) 埼玉新聞を抜粋編集
国指定史跡の埼玉古墳群(行田市)南端に位置する奥の山古墳について、県立さきたま史跡の博物館(藤野龍宏館長)は25日、東北大学との共同レーダー探査で墳丘頂上部分に四つの物体反応があったと発表した。うち二つは昨年10月に存在が明らかになった埋葬物で、5世紀後半から6世紀前半に多い箱式石棺とみられる。同博物館は「6世紀半ば築造と考えられている奥の山古墳より古い年代の石棺。6世紀半ばまで箱式石棺が使われていた可能性がある」と、さらに詳しく調査していく方針。
同博物館によると、墳丘頂上から深さ3メートルまでの間に四つの物体反応があり、うち2点は直径30~50センチの球状の物体だった。玉石状の物体だが材質は不明で、人工的に埋められたものとみられ、石の可能性もある。ほかの2点は長さ2メートル、幅と高さが50センチほどの類似した箱状の物体で、深さ2メートルと3メートルの辺りに点在していた。古墳の時期や物体規模など考古学的見地から、「箱式石棺」という石組みの埋葬物と見られる。
さらに、探査結果から石棺は未盗掘の可能性が高いとあらためて確認された。埼玉古墳群の稲荷山古墳からは国宝・金錯銘鉄剣(きんさくめいてっけん)が出土しているなど、大きな可能性を秘めた古墳群。現時点で奥の山古墳での発掘調査の予定はないが、井上学芸主任は「酸性が強い土のため、遺体の骨などは腐食して残っていないはず。中にあるとすれば鉄や石のたぐい」との見解を示している。
5世紀後半から7世紀前半にかけて築造された埼玉古墳群は、40基を超える古墳のうち、大型円墳1基と大型前方後円墳8基が国指定史跡として保存されている。これまで調査したのは奥の山古墳で3基目。5世紀後半築造とされる稲荷山古墳からは木のひつぎの周囲を礫(れき=小石)や粘土で囲った礫郭、粘土郭が見つかり、6世紀後半築造とされる将軍山古墳からは横穴式石室が見つかった。調査した3基の古墳からはいずれも二つずつの埋葬施設・物が発見された。奥の山で稲荷山、将軍山と異なる形状の埋葬物が確認されたことで、同博物館は「埼玉古墳群解明の大きな手掛かりになる」と期待している。