秩父太平洋 普通セメント生産中止へ
2010年02月24日 朝日新聞を抜粋編集
秩父市大野原の秩父太平洋セメント(倉田哲社長)が、2010年度の上期中に本社工場の普通セメントの生産を中止し、生産活動を大幅に縮小することが23日、明らかになった。同市と横瀬町の境界にある武甲山(1304メートル)の石灰石採掘事業は継続する。
同社の前身の旧秩父セメントは、1923年に初代の諸井恒平社長が創立。25年に同市大宮に秩父第一工場、56年に第二工場を開設した。武甲山の豊富な石灰石を原料とするセメント製造を手がけ、23年の関東大震災後の復旧工事や戦後の首都圏の復興、高度成長期に生産を伸ばした。衰退する絹織物に代わる地場産業として秩父の経済を支えてきた。
同市の計算では、秩父太平洋セメントや同社従業員が1998~2009年に市に支払った固定資産税や市民税は計45億円で、市内ではトップクラス。運送会社など同社関連会社は14社になる。
しかし、セメント事業の低迷により、1999年に秩父第一工場は撤退。旧秩父セメントは合併し、94年に秩父小野田セメント、98年には秩父太平洋セメントとなり、2000年には分社して秩父太平洋セメントとなった。
一方で、原料の石灰石を採掘する武甲山は姿を大きく変えてきた。武甲山は市民にとって「秩父夜祭の神が宿る山」であり、シンボルでもある。山の「破壊」を目の当たりにしながらも、雇用や税収増などのセメント事業の「地元への貢献」を理由に、市民は我慢を強いられてきた。