2008年9月?日 埼玉新聞を抜粋編集
“ダブルスタンダード”。昨年、駅置きの雑誌にこんな見出しを見つけた。そこには、都会と田舎に家を持つ――ダブルハウス(二つの家を持つ)生活の魅力も紹介されていた。当時、都内に住みながらもときがわの住宅購入に揺れていた私にとって、まさに二地域居住を後押ししてくれるような内容であった。
しかし、ほぼ毎週末帰郷し改めて感じた、緑や星空の美しさ、おいしい空気と水――をいつでも堪能したくなり都会を捨て田舎に帰ってきてしまった。約5年ぶりに、ときがわが私の拠点になった。
余談だが、※1の資料は、ときがわ町内の私の年代の動きである。昨年度1年間で87人、5歳ごとの人口の動きでは、5年間のうちに194人が町外へ出たことがわかる。私の周囲には確かに進学や就職、あるいは結婚のため地元を離れてゆく友人・知人は多いと感じていたが、数字でも明らかだ。
「結婚で男女とも町外に出て行くケースが多い」と役場職員の方がおっしゃるところ、私の独身での帰郷はレアケースのようである。
それはさておき、2年前に都幾川村は玉川村と合併しときがわ町となり、漢字からひらがなに自治体名が変わったことよりもっと大きな変化がここには起きているように感じる。
ときがわ町で、「芸術関係の人が、文化度が高いときがわに移住したがっている」と古物商のおばちゃんが言ったかと思えば、「ときがわにギャラリーを持ちたい」、「ここが好きで工房を設けた」、「インスピレーションを感じて居場所にした」と実際に芸術家のみなさんにもたくさん出会った。定年を機に田舎暮らしに憧れ自宅を持たれる方、「豊かな自然に触れたくなる」という都市部の住民の方々とも温泉などでこの町の魅力について語り合った。新たな出会いのほとんどが元気な中年の方々だ。都会の喧騒を離れ、田舎に非日常を求めに来るのではなく、非日常を日常に変えられるパワーをもつ大人が集まっているのだ。その人数は……また次回。
思えば、丸一年、「ときがわが好き」という言葉を探すことに奔走した。それは、“戻ってきて良かった”という自己肯定の理由探しだったような気も、これからはじめることの市場調査であった気もする。
近年、町の政策で光ファイバー網が敷かれる。ときがわ生活の魅力を若い大人にも感じてもらえる情報発信が私の目標だ。
※1
◇平成19年4月1日~同20年3月31日の20~29才(同20年3月31日現在1,547人)の転入出
転入―136人 転出―223人……その差87人
◇5歳ごとの年別人口推移データ抜粋
●平成16年3月31日 20~24才人口 909人(旧都幾川村、玉川村合計数)
●平成20年3月31日 25~29才人口 715人
……年代がひとつ上の階層にスライドすると、194人減
(以上、外国人を含む人数 ときがわ町調べ)
【鈴木香菜子】
1980年生まれ ときがわ育ち
大学卒業後、出版社勤務のため上京。
村を離れるが、昨年自宅購入と同時に帰郷。
じもとメディア、特定非営利活動法人川越奥武蔵観光情報学研究会理事。